いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
新約聖書には、「パウロ」という人の書いた手紙がいくつもあります。パウロは、イエス・キリストを人々に伝え続けた人でした。現在のシリアから、トルコ、そして遠くギリシャまで、イエスについての話をして回りました。
このパウロの話を聞いて、イエスを救い主として信じた人たちのために、手紙をいくつも書きました。多くの場合、最初の挨拶の所に、受取人たちの住んでいる町の名前が記されています。例えば、「コロサイにいる聖なる者たち」(コロサイ1:2)というようにです。この場合に「聖なる」というのは、その人たちが特に生真面目な生活をしているという意味ではありません。そもそも人間は、だれであっても当たり前の人間で、それ以上でも以下でもありません。
ではパウロは、このような手紙で、何でわざわざ「聖なる」という言葉を付けたのでしょうか。それは、手紙の中のもう一つの言葉によってはっきりとしてきます。パウロは、こう続けています。「キリストに結ばれている」(コロサイ1:2)
イエス・キリストというのは、イエスという名前の救い主という意味です。なぜ、イエスが救い主なのか、腑に落ちない方もあるかもしれません。その手掛かりはやはり、「結ばれている」という言葉です。実はイエスという方は、人とくっついてくれるのです。さらに言いますと、人間と神をくっつけてくれるのです。そして、何でもない普通の人でも、神様とくっつくと、ただそれだけで「聖なる人」、すなわち、神の恵みにつながった人になるのです。救い主イエスによって、あなたも聖なる人です。