ご機嫌いかがですか。所沢ニューライフ教会の玉井宣行です。
人間の性の秩序が乱れているという報道が増えています。そこには、倫理の基準を逸脱するような問題が数多くあります。そして社会が必ずしも、それらの問題に適切に対応できていない現実があります。
そのような私たち人間に対して、旧約聖書が語ります。「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。これをこそ、女と呼ぼう まさに、男から取られたものだから。』」(創世記2:22-23)と。
神が、男のあばら骨を用いて女を造られた。だから男も女も、神が引き合わせてくださるならば、その相手を心から愛することができる。人間はこのように造られていると、聖書は語ります。人間とは、創造者である神の秩序の中で、神が定める相手を深く愛することができるのです。
しかし、この神の存在を知らないならば、自分の意志のままに、自分の価値観のままに、変わりゆく社会の倫理観のままに、性の問題が解釈されて行きます。その結果として、様々な性の問題が社会問題となり、犯罪へと進展しているのです。どうか、人間を創造し、互いに愛し合うために男と女という性を与えてくださった、神の存在を知ってください。