おはようございます。銚子栄光教会の牧師、佐野直史です。
旧約聖書の最初の書物「創世記」には、神の天地創造物語が書かれていますが、そこには、「神は御自分にかたどって人を創造された。」(創世記1:27)「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1:31)と、神様が私たち人間を造られ、しかも良き作品として造られたことが記されています。
創造の神を信じること、それは、この世界とそこにあるすべてのもの、そして、この「私」という存在の意味を見出すことに繋がることだと思います。それは、もしこの世界が偶然に生まれたのではなく、神のご意志のもとで造られたのならば、この「私」という存在も、偶然に生まれたのではなく、何か神のご意志のもとで、しかも良き作品として造られていることになるからです。つまり、聖書は、もし神がこの世界を造られたのであれば、あなたを造り、愛しておられる神がおられることを教えているのです。
私たちは時に、「自分は何のために生まれて、何のために生きているのか」と疑問に思うことがあるかもしれません。忙しい日々の中では、なかなか問うことは少ないかもしれませんが、仕事や人間関係の悩み、病気や自然災害などで、人生に立ち止まる時、改めて「自分には生きる意味があるのだろうか」と問うことがあるかもしれません。
けれども、聖書は、そのような私たちに、この「私」という存在を造り、愛しておられる神がおられ、今日「私」が生きることにも意味を与えてくださるお方がいることを教えているのです。