おはようございます。日本キリスト改革派の東仙台教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
「プラトン」という古代ギリシャの哲学者がいます。プラトンは、この世と人間のことを、洞窟の中にいる人々にたとえました。人間というものは、洞窟の中で、子どもの頃から手足も首もロープで縛られていて振り返ることもできず、ずっと洞窟の奥の壁ばかりを見つめているようなものなのだ、と言うのです。
洞窟の入口からは、光が差し込んでいます。そして、人々は洞窟の壁に映った影絵を見ています。そして、その影が実体だと思い込んでいます。壁に映る影が世界のすべてだと思っています。これは何をたとえたことなのかというと、私たちが、五感によって知覚している世界が世界のすべてだと勘違いしていることをたとえているのです。
もし、プラトンの言うように、私たちが洞窟の中の人々なら、自分の間違いに自力で気づくことはできません。誰かが洞窟の外から中に入ってきて、私たちを縛り付けているロープをほどいてもらうことでしか、私たちは救われません。
キリストは、神であるのに人となって、この世に来てくださいました。人を救うためには、私たちのところに来てくださるしかなかったのです。自分の間違いに自分で気づくことのできない私たちを救うには、そうするより他なかったからです。