おはようございます。日本キリスト改革派の東仙台教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
お金持ちほど着飾ったりはしない、と聞いたことがあります。お金持ちは知っているのです。10万円の財布も1,000円の財布も、中に入っているお金を増やすことはありません。100万円の時計も1万円の時計も、同じ時間を示します。1,000万円の車を運転しようと100万円の車を運転しようと、道や距離は同じであり、同じ目的地に到着します。大きな家に住んでいようと、小さな家に住んでいようと、一人でいるなら孤独は同じです。物質的なものは、私たちの幸福にほとんど寄与していないのです。
では聖書は、幸せがどこから来ると言うのでしょうか。幸いに生きることができるように、ということで与えられた神の言葉に、「十戒」がありますが、十戒の言葉は、おおむね禁止命令です。「何々しなさい」ではなく、「何々してはならない」。人間は、間違いやすいものです。その私たちに、あなたがたはここで間違えることが多いから、そうならないようにね、ということなのです。
つまり、道を間違えることがなければ、幸いが得られるのです。幸いというのは、私たちの身近に、実はあるのです。私たちが間違えるから、手に入らないだけなのです。私たちが、別のものに幸いがあると信じて、違うものを求めてしまうからです。