おはようございます。仙台カナン教会の今井献です。
マルコ福音書3章1節以下に、イエスが安息日に会堂に入ったときのことが記されています。そこには片手のなえた人がおり、律法学者たちは、イエスがこの人を癒すかどうか注目していた、とあります。安息日にイエスが律法でゆるされていない特別なことを行っていたので、イエスを訴える口実を見つけようとしていたのです。
イエスは、この状況を知ったうえで、手のなえた人に「真ん中に立ちなさい」(マルコ3:3)と語りました。そして人々に、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」(マルコ3:4)と問いかけました。
人々が黙っていることを悲しむと、イエスは、「手を伸ばしなさい」(マルコ3:5)と語って手を癒し、その人を救い出しました。すると、この時から律法学者たちは、イエスを殺すための相談を始めたとも、聖書は書いています。
人の救いを第一としない者には、イエスの救いがわかりません。イエスは、安息日や会堂、律法より、罪と死に苦しんでいる人そのものを大切にしました。制度ではなく、人を見ていたのです。ここに、イエスの救いの新しさがありました。わたしたちは、人より制度や組織を重んじることはないでしょうか。イエスは、古くて新しい問題をわたしたちに突きつけています。