おはようございます。日本キリスト改革派の東仙台教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
ある講演者が、セミナーの冒頭で1万円札を掲げて言いました。「これが欲しい人はいますか。」
参加者は、手を挙げ始めました。それを見て、講演者は、「その前にこうしてみましょう」と言って、1万円札をくしゃくしゃに丸めました。そして、また聞きました。「まだ欲しい人はいますか。」手を下げる人はいません。「じゃあ、こうしてみようか」と講演者は言うと、1万円札を地面に落とし、靴で踏みつけました。そしてまた、聞きました。「まだ欲しい人はいますか。」手は挙がったままです。
そこで、講演者は言いました。「皆さんは、とても貴重な教訓を得ました。私がこのお金に何をしようとも、皆さんはお金を欲しがりました。なぜなら、そのお金に1万円の価値があることに変わりはなかったからです。そして、私たちも人生の中で、くしゃくしゃにされ、落とされ、踏みつけられるような耐え難い経験をします。しかし、それがために、あなたの価値が損なわれたと思うなら、それは間違いです。」
実に、私たちは、価値ある存在です。私たちのために、神の子キリストは、くしゃくしゃにされ、落とされ、踏みつけられるだけでなく、自分の命と引き換えにしてでも、私たちを救いたいと思ってくださっているのです。