聖書を開こう 2023年12月28日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  主に新しい歌を(詩編96:1-13)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 今年も一年があっという間に過ぎてしまいました。「聖書を開こう」のこの番組も今年最後の回になりましになりました。この一年を振り返り、主からいただいた恵みに感謝しながら、詩編の言葉を味わいたいと思います。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 詩編98編1節〜13節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 新しい歌を主に向かって歌え。
 主は驚くべき御業を成し遂げられた。
 右の御手、聖なる御腕によって
  主は救いの御業を果たされた。
 主は救いを示し
 恵みの御業を諸国の民の目に現し
 イスラエルの家に対する
  慈しみとまことを御心に留められた。
 地の果てまですべての人は
  わたしたちの神の救いの御業を見た。

 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
 歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
 琴に合わせてほめ歌え
 琴に合わせ、楽の音に合わせて。
 ラッパを吹き、角笛を響かせて
 王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。

 とどろけ、海とそこに満ちるもの
 世界とそこに住むものよ。
 潮よ、手を打ち鳴らし
 山々よ、共に喜び歌え
 主を迎えて。

 主は来られる、地を裁くために。
 主は世界を正しく裁き
 諸国の民を公平に裁かれる。

 この詩編は新しい歌を歌うようにという呼びかけで始まります。新しい歌は、主がなしてくださった驚くべき御業に対する感謝と賛美の応答の歌です。

 ここでいう驚くべき御業とは何でしょう。この詩編の背景にはバビロン捕囚からの解放という出来事があると言われています。

 自分たちの国がバビロニアによって滅ぼされ、およそ70年間にわたってバビロンへの強制的な移住が行われました。それは単に強い国が弱い国を滅ぼした、という歴史ではありません。聖書ではそれを神の民であるイスラエルに対する神の怒りとして受け止められています。

 人間的に考えれば、バビロンから解放されて、破壊されたエルサレムの神殿を再び建て直すことは実現不可能なほどの夢物語でした。実際、別の詩編ではその時の様子をこう歌っています。

 「主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。」(詩編126:1)

 きょう取り上げた詩編の中では、その同じ出来事を「主は驚くべき御業を成し遂げられた」と歌っています。夢としか思えないようなことを実現してくださる主の驚くべき御業です。

 しかし、主が驚くべき御業を成し遂げてくださるのはこの時が初めてではありませんでした。ご自分の民をエジプトから解放し、約束の地へと連れ出した出来事も驚くべき御業でした。また、罪からの解放のために救い主イエス・キリストをお遣わしくださった出来事も驚くべき主の御業です。

 驚くべき御業を成し遂げてくださるのは過去の出来事ばかりではありません。将来訪れようとしている救いの完成のときに成し遂げられる御業もまた、主の驚くべき御業です。やがて起こるがべきことを記した『黙示録』の中では、驚くべき御業に対して再び「新し歌」が歌われています(黙示録5:9, 14:3)。

 けれども、新しい歌が歌われるのは、「驚くべき御業」に対するわたしたちの応答と言ってしまうと、驚くべきことが行われるまでは滅多に歌われない歌という誤解が生じてしまうかもしれません。確かに「新しい歌」が歌われるのは、救いの出来事の中でも、語り継がれるような大きな出来事がきっかけです。

 きっかけはそうであるかもしれませんが、それをきっかけとして歌われ続ける歌です。主なる神に対する感謝と賛美は反復し続けるものです。その場合大切なことは、主が成し遂げてくださった驚くべき御業を、ただ過去の出来事としてしまわないことです。神のあわれみは日毎に新しいものであり、神は私たちに対して日々配慮し続けてくださるお方です。そのことに気が付き、どんな些細な出来事の中にも神の新鮮な恵みに感謝を献げる続けるときに、主の驚くべき御業は今の自分と深く結びつき、決して過去の歴史となってしまうことはありません。

 このような主の御業に対する感謝と賛美の応答は、個々人の礼拝の中でまず起こるべきことですが、「新しい歌を主に向かって歌え」という呼びかけは、ただ信仰者個人に対する呼びかけではありません。神の救いにあずかる信仰者の共同体に対する呼びかけです。私たち信仰者が集まる教会は、神の救いにあずかるという共通の体験を持つ共同体です。

 私たちが礼拝の場に集まるとき、一人ひとりが主の恵みを思い起こし、心をひとつにして主の救いと喜びを言い表すことが大切です。それは共同体の祈りを通して、また、共に歌う賛美の歌声を通して行われます。いえ、それ以前に、神を礼拝するために集まるという行動そのものが、救いの御業に対する応答です。

 この詩編はまた、主が成し遂げてくださった救いの御業を世界の片隅で起こった小さな出来事とは認識しません。ですから、臆することなくこう歌います。

 「地の果てまですべての人は わたしたちの神の救いの御業を見た。全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。 歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。」

 このスケールの大きさを意識することが大切です。神の救いの御業は全世界を巻き込むスケールの大きさです。この日本でクリスチャンは少数派であるかもしれません。しかし、そのことで委縮してしまうのではなく、全地が喜びの声を挙げるほどの御業を主が成し遂げてくださっていること、その恵みにさらに多くの人々があずかることを期待して、礼拝に集まり続けることが大切です。

 この詩編の作者は主を賛美するためにさまざまな楽器の名前を挙げています。それは私たちの賛美と感謝の多様性を表現しています。しかし、多様であってもばらばらではありません。オーケストラがさまざまな楽器を結集して調和のとれた交響曲を生み出すように、私たちの多様な感謝と賛美も主の前で美しいささげものになります。多様な感謝と賛美が鳴り響き、共鳴しあうことで、より豊かな礼拝となります。

 この詩編の作者の思いはさらに広がって、海とその中に満ちるもの、世界とそこに住むもの、山々にまで向かいます。それは主の御業に対する誌的な表現というばかりではありません。人間の救いはあらゆる被造物にも影響をもたらす出来事です(ローマ8:19-22)。

 主イエス・キリストの救いにあずかる私たちもまた、主の日ごとに集まる礼拝の中で、この新しい歌を鳴り響かせ、思いを世界とその中に満ちるすべての被造物へと向かわせながら、主に賛美を献げましょう。

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