聖書を開こう 2023年11月9日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  神の真実な導き(ヨシュア3:7-17)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 きょう取り上げようとしているヨシュア記には、モーセの後継者ヨシュアがイスラエルの民を率いてヨルダン川を渡り、約束の地を手に入れる話が記されています。

 モーセによってエジプトから導き出された第一世代のイスラエルの民は、その不信仰の故に残念なことに40年間の荒野での旅の間に死に絶えてしまいました。モーセ自身もヨルダン川を渡ることは許されませんでした。第一世代の中では、主なる神に信仰をもって従ったヨシュアとカレブだけがヨルダン川を渡ることが許されました(民数記14:29-35)。

 ヨシュアはモーセの後継者として、第一世代の子孫たちを率いて約束の地を目指します。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 ヨシュア記3章7節〜17節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 主はヨシュアに言われた。「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」ヨシュアはイスラエルの人々に、「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、こう言った。「生ける神があなたたちの間におられて、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。今、イスラエルの各部族から1人ずつ、計12人を選び出せ。全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた。主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

 先ほどお読みした個所は、いよいよヨルダン川を渡って約束の地、カナンに入る場面です。その直前で主である神はヨシュアに告げてこうおっしゃいました。

 「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。」

 神が共にいてくださること、このことはヨシュアにとって一番大切なことでした。ヨシュア記の1章には、すでに神がヨシュアと共にいてくださる約束が記されています。それはヨシュアを励まし、ヨシュアを奮い立たせて、強く雄々しくあることができる根拠でした。

 今、再び神はそのことをヨシュアに思い起こさせます。しかも、この約束がただの口約束ではなく、その確かな証拠をイスラエルの民の前で明らかにしてくださると神はおっしゃっいます。そして、その証拠となるしるしは同時に、神が約束してくださった約束の地へとイスラエルの民が導き入れられる確かな証拠でもありました。

 その証拠とは、契約の箱を担いで民の先頭に立って進む祭司たちの足がヨルダン川の水際に浸ると、たちどころに上流で川が堰き止められ、乾いた川底を渡ることができるという奇跡でした。

 それはモーセーによってエジプトを脱出した民が、葦の海で経験した出来事、つまり海が二つに分かれて乾いた地を進むことができた出来事に匹敵します。その出来事を記憶している世代は既に死に絶え、そののちに生まれた世代はそれを経験していません。

 神は新しい世代の人々の前で、確かなしるしを示して、ヨシュアとヨシュアに率いられる民とを励ましてくださいました。しかし、奇跡が自動的に民の信仰を不動のものにするのではないことは、すでに、エジプトを脱出した第一世代の悪い模範が示す通りです。

 この場面に描かれるヨシュアとヨシュアに率いられる新しいイスラエルの民は、第一に神の約束を信じて前に進む決断をしました。それは奇跡を目の当たりにする前の決断です。奇跡を見て信じたのではありません。そうではなく、神の言葉に信頼して、約束の地を目指してヨルダン川を渡る決断をしたのです。これは重要なポイントです。

 ヨルダン川を渡って約束に地に入ることは、人間的に考えればリスクの伴うことです。そのリスクを知ってリスクを管理することは大切ですが、しかし、そのリスクを理由に神の約束を退けることは、大きな間違いです。それはエジプトを脱出した第一世代のイスラエルの民が犯した大きな間違いでした。

 第二に大切なことは、この信仰による決断を通して、神の業を神の業として受け止めることができたこと、そして、そのことを通して神への信仰がいっそう深められていったということです。

 ヨルダン川の水が堰き止められて、乾いた川底が現れたという出来事は、何となれば他の説明も可能でしょう。たとえば、上流で起きた地震のために、川が堰き止められてしまったという説明です。信仰がなければ、その説明で納得してしまうかもしれません。しかし、少なくともヨルダン川を渡ったイスラエルの民にとっては、その説明だけがすべてとはなりえません。信仰によってそこに見えない神の御手の働きを見たのです。

 私たちは時々、第一と第二の順番を間違えてしまうことがあります。奇跡や不思議な業が信仰を生み出すのではありません。そうではなく、それに先立って神への信仰と信頼を持つことが大切です。信仰と信頼をもって前に進むこと、そのことが大切です。そのように歩むとき、立ちはだかる困難を乗り越えて前に進むことができます。リスクを恐れるのではなく、リスクを管理する余裕を持つことができるようになります。

 そして、信仰と信頼をもって前に進むときに、自分の身に起こるどんな小さなことの中にも神の大きな御手の働きに気がつかされるようになります。世の中の人が単なる偶然と片づけてしまうことの中にも神の働きを見出だし、そのような神の存在を発見して、ますます強く雄々しくされていくのです。

 最後に、こうした信仰と信頼持つことにとって大切なことは、謙虚さをもって神に従うということです。神を自分の王、主である告白しながら、神を自分よりも下に置き、神を自分に従わせようとするところに、問題が生じます。そうではなく、謙虚に神の言葉である聖書に聞き入るときに、道が正しく開かれていくのです。

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