聖書を開こう 2023年10月26日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  主が共にいてくださる(出エジプト33:12-23)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 わたしたちが神について知っていることは、ほんの一部でしかありません。正確に言えば、神について知っていることが、一部なのか半分なのか、それすらもわかっていません。ただ、有限は無限を入れることができない、という一般的な真理から考えて、無限である神を有限である人間が把握しきれないと考えています。そういう意味でわたしたちの神についての知識は完全ではありません。

 けれども、その一方で、神がご自分について人間に教えてくださる限りにおいて、人は神について知ることができると考えています。そうであればこそ、神がわたしたちに啓示してくださることを大切にしています。

 前回はイスラエルの民が犯した罪について、モーセが神に執り成した話を学びました。その後、イスラエルと神との関係はどのようになったのでしょうか。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 出エジプト記333章12節〜23節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 モーセは主に言った。「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。あなたは、また、『わたしはあなたを名指しで選んだ。わたしはあなたに好意を示す』と言われました。お願いです。もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください。そうすれば、わたしはどのようにして、あなたがわたしに御好意を示してくださるか知りうるでしょう。どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」主が、「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と言われると、モーセは主に言った。「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」主はモーセに言われた。「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」

 今お読みした個所の直前に、こんな言葉が記されています。

 「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」(出エジプト33:11)

 ここで言われている「顔と顔とを合わせて」と言うのは文字通りの意味ではありません。きょう先ほどお読みした個所にもある通り、人は神の顔を直接見ることはできません。

 そうではありますが、決して人間からはるか遠くにおられるお方ではありません。少なくともモーセに対しては友と語るようにお語りになったといわれています。けれども、モーセはいつも神の語ることが最初から理解できていたわけではありませんでした。時には疑問に思うことも戸惑うこともありました。その様子がきょうの個所には描かれています。

 モーセは主なる神に向かってこう問いかけます。

 「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。」

 実は金の雄牛の偶像を作って罪を犯したイスラエルの民を執り成した後、神はモーセに告げてこんなことをおっしゃっいました。

 「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った土地に上りなさい。わたしは、使いをあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」(出エジプト33:1-3)

 神はモーセに先だって使いを遣わしてくださる約束をしてくださる一方で、ご自身は一緒に約束の地へのぼらないとおっしゃるのです。一緒にのぼっていけば、頑なな民の罪に怒りを覚え、民を滅ぼしてしまうからだと神はおっしゃるのです。

 このことはモーセにとってもイスラエルの民にとっても困惑の原因でした。神が一緒に行かれないのは罪深いイスラエルの民への配慮だとおっしゃる神ですが、しかし、モーセも民も、神が一緒でなければ、いかなる幸福も成功もないとを知っていました。

 モーセに対しては友のように語ってくださる神だからこそ、モーセもまた神に疑問を率直にぶつけます。いえ、神ご自身がモーセにそのような機会を与えてくださっていたのでしょう。神は人に疑問を与え、ご自身についての考えを深く思いめぐらせてくださるお方です。

 モーセが抱いた疑問は、神が共にいてくださらなければ、それがどんな約束の地であったとしても、むなしいのではないか。神がわたしたちの犯す罪に対して怒らないために、わたしたちを離れることは、ほんとうにはわたしたちのためにはならないのではないか、という疑問です。

 モーセは神との語らいの中で、神が共にいてくださる約束を取り付けます。この神との語らいの中で、神と共に歩むことの大切さをモーセはますます深めていきます。

 主である神が「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と約束してもなお、モーセはその言葉を確認してこう述べます。

 「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。」

 神がわたしたちにご好意を示される唯一の方法は、人の罪を見ないために、人から離れて行くことではあるません。そうではなく、神がわたしたちと共にいてくださることによってだけ、神のご好意ははっきりと示されるのです。

 では、罪に対する神の怒りはどうなるのでしょうか。モーセは神ご自身からもう一つの大切な言葉をいただきます。

 「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」

 そうです。聖なる神と共に歩むことができるのは、神の恵みと憐れみによるのです。この神の恵みと憐れみによって、わたしたちは神と共に歩んで、幸福の中に住まうことができるのす。

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