聖書を開こう 2023年8月24日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  神の摂理を信じる信仰と和解(創世記45:1-15)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 神が今も生きて働いてくださっておられるということを信じる信仰は、わたしたちに生きる勇気と希望を与えてくれます。というのも、わたしたちの人生は、必ずしも自分の思い通りに展開するとは限らないからです。しかも、そのような人生は、必ずしも本人の落ち度によってもたらされたとは限らないことがあります。

 そのような時に神が今もおられることを信じ続けて生きるのか、それとも自分の人生を呪って生きるのかでは、大きく違います。

 きょう取り上げる箇所に登場するヨセフは様々な試練を経て、神を信じ続けることの大切さを身をもって体験した人です。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 創世記45章1節〜15節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。この2年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから5年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます。そこでのお世話は、わたしがお引き受けいたします。まだ5年間は飢饉が続くのですから、父上も家族も、そのほかすべてのものも、困ることのないようになさらなければいけません。』さあ、お兄さんたちも、弟のベニヤミンも、自分の目で見てください。ほかならぬわたしがあなたたちに言っているのです。エジプトでわたしが受けているすべての栄誉と、あなたたちが見たすべてのことを父上に話してください。そして、急いで父上をここへ連れて来てください。」ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンもヨセフの首を抱いて泣いた。ヨセフは兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟たちはヨセフと語り合った。

 ヨセフは、家族の中で一人、父親から溺愛され、自分が兄弟や家族の中で優位に立つ夢を見たことで、兄たちからは徹底的に嫌われました。その結果、エジプトの国に売り飛ばされ、雇人の一人として生活を送らなければなりませんでした。しかも、せっかくの信頼を得てエジプトでの生活も順調に進んでいた矢先に、あらぬことで濡れ衣を着せられて、投獄されてしまうヨセフでした。

 獄中仲間を助けて一時は釈放されるチャンスをつかみかけましたが、しかし、その助けた牢獄仲間は、その恩をすっかり忘れて、ヨセフは牢獄生活を続けなければならなくなります。ここまでの人生はヨセフにとって、ジェットコースターのような浮き沈みの激しい人生でした。

 けれどもこのヨセフにも再び大きなチャンスが訪れます。それはエジプトの王が見た夢を解き明かし、エジプトの国でもっとも重要な地位にまで登り詰め、飢饉が襲う中でエジプトの国を救うという大事業を行うというものでした。

 しかし、ヨセフはこのことを通して決して自分の才能に酔いしれることはありませんでした。これらの出来事の中に神の不思議な導きを見て取ったからです。

 食糧を求めてやって来た兄たちに、ついに自分を明かすときに、ヨセフはこう言いました。

 「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」

 ヨセフにとって、今までエジプトで経験した苦労を思えば、兄たちを恨み、自分の地位を利用して仕返しをすることもできたでしょう。しかし、自分の人生に神の摂理を感じるときに、何者でもない自分を謙遜に認め、赦しと和解を求める心が与えられました。

 ヨセフのようにそこまで成功した人物だから、心にも余裕ができて、兄たちを受け入れることができたのだと思われるかもしれません。しかし、成功した人物の心がいつも寛容で余裕があるとは限りません。人を見下す高慢さが心を支配することもあります。

 ヨセフがそうならなかったのは、自分の人生の隅々にまで、神の支配と導きとを感じ、それを素直に受け入れていたからでしょう。神の導きを信じて、自分の人生を委ねて行くことでこそ、心に余裕が与えられ、他者の犯した罪を赦すことができるようになるのです。他人を赦すことで、癒しと新たな始まりが訪れます。

 ヨセフの頭の中にあったのは、ただ自分の人生のことだけではありませんでした。アブラハムに約束された神の約束の実現という、はるかかなたの希望にまで心が向いていました。

 ヨセフは兄たちにこう言います。

 「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。」

 かつて神はアブラハムにこう予告しました。

 「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、400年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。」(創世記15:13-14)

 この予告の通り、ヨセフを通して、異邦の国での寄留生活が始まります。ヨセフ自身が体験したように、これからの生活が必ずしも自分たちにとって良いこと続きとならないことは予想がつきます。またアブラハムに対する神の言葉は、奴隷状態が400年にもわたって続くことが予告されています。

 それにもかかわらず、これから起こされる残りの者たちが、大いなる救いに至ることをヨセフは確信しています。それは、ヨセフが神の摂理を心から信じ、神の御手にすべてを委ねる生き方を身に着けていたからです。

 神の摂理を信じる者には、明るい未来を描き、余裕をもって他者を受け入れる心が与えられます。そのように生きるとき、心に平安がもたらされるのです。

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