メッセージ: 騙されてもくじけないヤコブの愛と信仰(創世記29:14b-30)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「若いころの苦労は買ってでもしなさい」という言葉があります。苦労というのは、できれば避けたいものです。しかし、苦労してこそ得られる貴重な体験もあります。そうして得た体験は、その人の人格を造り上げ、また将来に役立つ知恵を生み出します。
けれども、そうは分かっていても、中々自分から苦労を買って出る人はいません。むしろ、苦労が降りかかってきて、半ば強いられてその苦労を背負い込むことの方が多いかもしれません。きょう取り上げようとしているヤコブという人は、今までも取り上げてきましたが、それまでほとんど苦労を知らない人でした。兄との仲たがいによって初めて故郷を離れ、母方の伯父のもとで苦労を経験します。きょうはその話を取り上げることにします。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 創世記29章14b節〜30節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
ヤコブがラバンのもとにひと月ほど滞在したある日、ラバンはヤコブに言った。「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは7年間あなたの所で働きます」と言った。ラバンは答えた。「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方が良い。わたしの所にいなさい。」ヤコブはラケルのために7年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。ヤコブはラバンに言った。「約束の年月が満ちましたから、わたしのいいなずけと一緒にならせてください。」ラバンは土地の人たちを皆集め祝宴を開き、夜になると、娘のレアをヤコブのもとに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。ラバンはまた、女奴隷ジルパを娘レアに召し使いとして付けてやった。ところが、朝になってみると、それはレアであった。ヤコブがラバンに、「どうしてこんなことをなさったのですか。わたしがあなたのもとで働いたのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、わたしをだましたのですか」と言うと、ラバンは答えた。「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。とにかく、この1週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう7年間、うちで働いてもらわねばならない。」ヤコブが、言われたとおり1週間の婚礼の祝いを済ませると、ラバンは下の娘のラケルもヤコブに妻として与えた。ラバンはまた、女奴隷ビルハを娘ラケルに召し使いとして付けてやった。こうして、ヤコブはラケルをめとった。ヤコブはレアよりもラケルを愛した。そして、更にもう7年ラバンのもとで働いた。
兄との仲たがいによって故郷を出たヤコブは、母方の伯父ラバンのもとで暮らすことになりました。ラバンの家で世話になる表向きの理由は、結婚相手を見つけるためでした。ヤコブにとって、その目的は早くも達成できそうに思われました。
遠い見ず知らずの土地を訪ねて旅に出たヤコブを最初に出迎えたのは、ラバンの娘ラケルでした。まるでそんな筋書きでもあったかのように、二人は出会います。ヤコブにとっては、夢の中で見た神の不思議な摂理による出会いと思えたことでしょう。
ひと月程して、これもまたヤコブにとって神の摂理とも思える提案を、期せずして伯父のラバンから受けます。
「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」
ラバンのこの提案に、ヤコブは迷うことなく答えます。
「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは7年間あなたの所で働きます」
愛するラケルのためなら、7年間の労働など取るに足りないと思ったのでしょう。そして、伯父のラバンの答えも、そう願うヤコブに大変好意的でした。
「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方が良い。わたしの所にいなさい。」
何もかもがヤコブにとって良い方向に進んでいるように思えました。兄との仲たがいも、家を出るときの不安も、もうすっかりどこかに飛んで行ってしまいそうです。実際ヤコブにとっては、これからの7年間の月日は、ほんの数日のように思われるほど早く過ぎ去っていきました。それもひとえに、ラケルへの愛情の深さゆえということができるでしょう。
ところが、結婚の日にヤコブは伯父のラバンに騙されます。下の娘のラケルではなく、上の娘のレアをヤコブに与えたのでした。伯父には伯父の言い分がありました。それは、土地の習慣で姉より先に妹を嫁がせるわけにはいかない、というものでした。ラバンは最初からヤコブを騙すつもりだったとは、言い切れないかもしれません。誰もが知っている土地の習慣だけに、ラバンは予め説明の必要などないと思っていたのかもしれません。しかし、ヤコブにとっては、詐欺としか感じられなかったことでしょう。少なくとも、そうした習慣があることを予め教えてほしかったはずです。
問題の解決の提案はラバンからなされます。
「とにかく、この1週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう7年間、うちで働いてもらわねばならない。」
したたかな提案と言えば、そうかもしれません。ラバンは何一つ失うものがないどころか、合計14年間の労働力を手に入れることができます。しかも、同時に二人の娘を嫁がせることができるのですから、ラバンにとって何一つ不満のない条件です。
他方ラケルと結婚するためには、ヤコブはこの提案を呑まざるを得ません。姉のレアをも迎え入れなければならないのは、ヤコブの本意ではありません。しかもそのためにもう7年間の労働力を提供しなければなりません。ラケルのためには、自分から進んで7年間の労働を提案しましたが、今度は相手の言いなりにならざるを得ません。どう見てもヤコブには不利な条件です。それにもかかわらず。ヤコブはこれ以上反論することもなく、伯父のラバンの提案を受け入れます。なぜ、ヤコブが素直にラバンの提案を受け入れたのか、それを説明するものは、ラケルに対するヤコブの愛情のほかありません。ヤコブの場合、愛があらゆる困難を克服する力であったということができます。そして何よりもヤコブはこのことを通して忍耐を学ぶ機会を与えられました。
考えてもみれば、ヤコブ自身がかつては兄の空腹に乗じて、自分に有利な条件を兄のエサウに飲ませたことがありました。また、父のイサクを欺いて、父の祝福が自分一人に向かうようにと企みました。まさに同じ目に自分が遭って、初めて自分がかつてしたことの罪深さに気が付いたことでしょう。見方によっては、これもまた神の摂理ということができるでしょう。おそらく、ヤコブ自身がそのことに気が付いたはずです。
ラケルとの出会いが神の摂理的な導きであったとするなら、同じように自分が犯してきた過ちについて悟らせてくださるのも神の摂理的な導きです。そして、そのことを通して、ヤコブは愛と信仰を学ぶことができました。
同じように、わたしたちの人生の中にも、神は摂理の御手を働かせ、わたしたちの信仰者としての品性を練り上げて下さいます。そういう意味で、自分に降りかかる苦難を不条理と思わずに、信仰的に受け止めることが大切なのです。