聖書を開こう 2023年7月27日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  天からの階段(創世記28:10-19)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 超高層ビルのことを英語でskyscraperと言います。「sky」は「空」、「scrape」は「こする」という意味で、空をこするような高さの建物という意味です。世界には500メートルを超える超高層ビルが12ほどあって、一番高いものは800メートルを超える建物です。建設中のものも含めると高さ1キロメートルというものもありますので、高さ競争は留まるところがなさそうです。

 高さへのあこがれは、太古の時代からあるようで、聖書に出てくるバベルの塔はその典型です。しかし、人間がどんなに高さを積み重ねても、神の御許へ届くものを造ることはできません。むしろ、神の側から差し伸べられる階段こそが神に近づく手段です。そんな象徴的な夢を見たヤコブの話をきょうは取り上げます。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 創世記28章10節〜19節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。

 きょう取り上げた個所は、アブラハムの孫であり、イサクの息子であるヤコブが旅に出る話です。旅と言えば聞こえがいいですが、ヤコブがでかけた旅は、決して楽しい旅ではありませんでした。

 表向きの理由は、生涯の伴侶を見出だすために母方の伯父さんを訪ねるためでした(創世記24:46-28:2)。しかし、本当の理由は、もはや兄のエサウと一緒に住むことができないほど、兄弟の間に亀裂が生じていたからです(創世記27:42-45)。

 というのも弟のヤコブは母親と共謀して兄のエサウになりすまし、年老いて目がかすんだ父のイサクを欺いて、エサウが受けるはずの祝福を騙し取ってしまったからです(創世記27:1-40)。エサウの憎しみは積もり積もってとうとう「必ず弟のヤコブを殺してやる」と公言するまでに至ります。

 そんなことがきっかけの旅ですから、楽しいはずはありません。神を見上げて、ひとつとなるはずの家族が、今や分裂状態です。今までいつも家族の住む天幕の周りで働いてきたヤコブにとって、家を離れるなど想像もつかなかったことでしょう。表向きの理由は結婚相手を探すためといっても、向かう先の伯父さんの家で、歓迎されるかどうかは分かりません。いくら親戚とはいえ、ヤコブの不安は尽きません。その思いは日が暮れるとともにますます募ってきたことでしょう。

 夜の移動は危険が伴います。ヤコブは見ず知らずの土地で野宿をしなければなりません。石を枕に横たわると、不思議な夢を見ます。その夢の内容はこうでした。

 「先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」(創世記28:12)

 聖書の原文通りの順番でこの夢を記すとすれば、「見よ、階段が地に据えられている」と言う言葉で始まります。

 この時のヤコブの目の動きを想像してみてください。最初に目にしたのは地に据えられた階段です。最初から階段の先端に目が行ったのではありません。自分と同じ地面に立つ階段です。そもそも旅の出発の理由が理由だけにヤコブの心はうつむき加減であったはずです。うなだれたヤコブの行く手を阻むように立つ階段を目にして、思ったことでしょう。いったい誰がこんなところに階段を、と。

 しかも、ヤコブが目にしたのは、厳密には「地に向かって」据えられた階段です。「地に向かって」というのは不思議な表現です。2階へ向かう上り階段か、1階ヘ向かう下り階段か、同じ階段でもその人の見方によって表現が異なります。ヤコブにとってそれは、最初から天へ向かう階段ではありませんでした。ヤコブが目にしたとき、それは地へと向けられた階段だったのです。

 そう思いながら、ヤコブの視線は、階段を一段一段上るようにして上へ向かいます。そして、とうとうその先端が天にまで達していることに気が付きました。地へと向かって据えられた階段の出所が天からのものであることをヤコブはここで悟ります。

 しかも、その階段は、神の御使いたちが往来しています。まるで天と地を繋ぐかけ橋のようです。それも、人間が天へ向けて建て上げた階段ではなく、天から地へと差し伸べられた階段です。

 これまでのヤコブの生き方は、強引なやり方で人を押しのけ、神の祝福を手に入れようとする生き方でした。1杯のレンズ豆の煮物料理で兄のエサウから長子の権利を奪うときも、計略を使って父のイサクから祝福を騙し取るときも、強引なやり方でした。

 けれども、ヤコブが見た夢では、この階段は神の祝福を手に入れようと天に上るために人間が建てた階段ではありませんでした。実に、神の側から地へと向かって差し伸べられた階段でした。

 そこではじめて自分に語りかける主なる神の声をヤコブは耳にしました。この語り掛けの中で、ヤコブは主の約束をはっきりと聴き取ります。

 「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(創世記28:15)

 ヤコブにとって、この言葉ほど大きな励ましはなかったことでしょう。もとはと言えば、自分がしてきたことがきっかけで、家を出なければならなくなったヤコブです。自業自得、身から出た錆と言えるかもしれません。けれども、そんなヤコブを神は決して見捨てることはなさいません。

 この約束は、イエス・キリストを信じるわたしたちへの約束でもあります。復活のイエス・キリストは弟子たちにこうおっしゃいました。

 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)

 そうおっしゃるイエス・キリストこそが天から地へと向かって差し伸べられた階段です(ヨハネ1:51)。このお方を通してのみ、わたしたちは救いの恵みを頂くことができるのです。

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