聖書を開こう 2023年5月18日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  天に帰られるキリスト(使徒1:1-11)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 新約聖書には四つの福音書があります。そのうちのヨハネによる福音書を除く最初の三つの福音書は、「共観福音書」と呼ばれています。「共観」とは観点が共通しているという意味ですが、マタイ、マルコ、ルカによる福音書はそれほど内容が共通した部分が多く見受けられます。

 しかし、ルカによる福音書には他の三つの福音書にはない、特色が一つあります、それは、「使徒言行録」という第二巻が続いているということです。他の福音書が主イエス・キリストの受難と復活をクライマックスに福音書を完結しているのに対して、ルカによる福音書は、キリストの復活と昇天を超えて、さらに聖霊を通して働き続ける神の救いのご計画の展開が織り込まれています。それは、救いの働きをただの過去の歴史として理解するのではなく、今も、そして後の時代にも進展し続ける神の働きの一環として全体を捉えようとする姿勢がそこには表れているように思います。

 さて、キリストの復活から40日目はキリストが天にお帰りになった日を記念して「キリストの昇天日」と呼ばれています。きょうはその40日間を地上で過ごされた復活のキリストが、その間に弟子たちにお語りになったことから学びたいと思います。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 使徒言行録1章1節〜11節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

 今、お読みした個所には、復活されたキリストが40日にわたって、度々弟子たちの前に現れ、ご自分が生きていることを数々の証拠をもって示されたということと、そのキリストが弟子たちの前で天に挙げられていった様子が描かれていました。

 しかし、40日にわたる期間、弟子たちに何を教えられたのか、そのすべてが記されているわけではありません。ただ、神の国について話されたとだけ記されています。

 それよりももっと大切なこととして、復活のキリストが弟子たちにお語りになったことは、「エルサレムを離れず、……父の約束されたものを待ちなさい」ということでした。これは、後に聖霊降臨と呼ばれる出来事を通して、聖霊が弟子たちに注がれる日に実現します。

 では、その時注がれる聖霊は、どんな変化をもたらすのでしょうか。イエス・キリストはそのことについて。こうお語りになっています。

 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 もちろん、これは聖霊の働きのすべてではありません。新約聖書全体が語っている聖霊の働きはもっと豊かな働きです。しかし、使徒言行録に記されるこれからの神の国の展開を描くには、十分なことを語っています。

 第一に、その聖霊は弟子たちに力を与えるということです。これから使徒言行録に展開される弟子たちの力強い働きの背景には、この聖霊によってあたえられる力があるということです。言い換えれば、聖霊の働きのある所に、教会が進展して行くという明るい見通しがあるということです。

 そして、その働きの進展は、もはやエルサレムだけにとどまるのではなく、その周辺にあるユダヤやサマリヤ、さらには地の果てにまで広がります。実際、使徒言行録にはその後の展開がそのように記されます。

 第二に、このように教会の進展は聖霊の力に依るのですが、人間の働きが不在なのではありません。聖霊は弟子たちを復活のキリストを証言する証人とします。弟子たちは様々な苦難に遭遇し、時には牢獄に監禁されたり、支配者たちの面前で弁明を求められることもありました。その都度一つ一つの場面で、聖霊が弟子たちに語るべき言葉を与えて、彼らを立派な証人として立ち上がらせました。これらの証人の働きを通して神の国の福音が力強く伝えられていきます。

 けれども、そうお語りになるキリストは、彼らが見ているうちに天に上げられ、雲に覆われて彼らの目からは見えなくなってしまいます。

 天を見上げ見つめる弟子たちに、二人の天使が現れてこう告げます。

 「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

 こうして、キリストが再び来て下さるとの約束を聞かされた弟子たちの歩みがはじまります。しかし、彼らは地上に孤立無援で取り残された人々ではありません。むしろキリストが天に挙げられたからこそ、聖霊が彼らに降ってきたとも言えます。

 キリストが天に挙げられて、再びこの地上に来られる日までを、教会はただ漠然と過ごすのではありません。聖霊の恵みに支えられながら、キリストの証人として生きる喜びが与えられているのです。そういう大切な期間として今の時を理解することが大切です。

 使徒言行録に記された聖霊の働きは、この書物が完結したことで、終わったのではありません。いえ、使徒言行録の書物自体、完結したような終わり方をしていません。

 その結びはこう記されています。

 「パウロは、自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

 あたかも、このパウロの伝道は、今なお続いているかのようです。その通り、教会はこのパウロの働きを今も聖霊によって続けているのです。

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