聖書を開こう 2023年2月16日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  平和の神と共にあるために(フィリピ4:8-9)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 どうしてキリスト教を信じるようになったのか、そのきっかけは人それぞれいろいろあると思いますが、クリスチャンの人柄に惹かれて教会に行き始める人が少なからずいるように思います。日本に最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、誇張された伝説的な部分を差し引いたとしても、日本人に相当の感化を与えるほどの人徳のある人物だったようです。キリスト教の教えそのものも人を惹きつけますが、それに劣らぬくらい、ザビエルの徳に引かれた日本人も多かったといわれます。

 幕末のころ欧米から送られてきた宣教師たちも、外国からやってきたもの珍しさということもありますが、それ以上に、やはりその人格的な深さに感化された日本人が多くいます。たとえば、土佐藩士の沢辺琢磨は、函館にいたロシア正教の司祭であったニコライを殺害しようとしますが、逆にニコライに諭され、その感化を受けて、後に日本人最初のロシア正教の司祭になります。また日本最初のプロテスタント教会である横浜海岸教会は、宣教師たちから英語と聖書を学んで影響を受けた数名の日本人によって設立されました。彼らは祈る姿の宣教師たちに心動かされて、自分たちも祈りの集会を持ち始め、教会へと発展したそうです。

 私自身も、聖書を読んで教会に行き始めたとはいえ、教会で出会ったクリスチャンにたくさんの影響を受けました。特に最初に出会った宣教師の生き方には大きく影響を受けました。キリスト教を体現しているようなその生き方に深い感銘を受けました。

 神の言葉が人を動かすと言うのは真理だと思いますが、その神の言葉に動かされた人の生き様を見て動かされるというのも真理のような気がします。

 きょうお読みする個所には、わたしたちが身に付けるべき徳目について挙げられています。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 フィリピの信徒への手紙 4章8節〜9節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

 パウロの手紙には、非常に具体的に、クリスチャンとして身につけておかなければならない徳目がリストになって挙げられている個所がいくつかあります。たとえば、ガラテヤの信徒への手紙 5章22節以下には、それらの徳目が聖霊の結ぶ実として列挙されています。あるいはコリントの信徒への手紙二の6章6節以下にも徳目のリストがあります。

 しかし、今お読みした個所の徳目リストはパウロが普段使う用語とは少し違った珍しい言葉もいくつか見受けられます。また、ただ単に「愛」「寛容」「親切」といった徳目を単語で並べているだけではなく、「すべて〜なこと」という言い回しで述べられています。

 そういう意味では、ここに出てくる徳目表は他の手紙に出てくる徳目リストとはちょっと違っているかもしれません。

 ここにはまず六つの徳目が「すべて〜なこと」という包括的な形で列挙されます。

 「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なこと」

 単に真実さ、気高さ、正しさなどが挙げられているのではなく、例えば真実さなら、真実さに属するすべてのことがらに心を留めるように求められているのです。

 そして、それに続いてこの六つを要約するかのように、もし徳や賞賛に価するものがあれば、それらにも心を留めるようにと包括的に命じています。

 つまり、パウロが心に描いているクリスチャンとしての品性は、ただ最初に挙げた六つの事柄に限定されていると言うわけではありません。結局それらは徳と呼ばれるもの、賞賛に値するものに他ならないのです。従って、このリストは完成させようと思えばきりがないほどなのです。ここにはあらゆる徳、あらゆる賞賛に値するものが加えられていくはずです。

 パウロがこのように包括的な書き方をしたのには理由がありました。それは3章で取り上げた敵対者のことが背後にあるからです。彼らは自分たちを既に完成した者と考えていました。それに対して、パウロは自分自身を完成された者とは考えず、むしろ、完成の途上にある者と考えていました。それはゴールへと向かっては走りつづけるマラソンランナーの姿です。

 ここでパウロが扱う徳目のリストの取り上げ方は、正に栄冠を目指して走りつづけるランナーの姿と重なっています。本当のゴールにたどり着くまでは、もうこれでおしまいということはありません。

 すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なこと、これらはどれもクリスチャンの品性に備わっているべき事柄です。もちろん、どれ一つをとってもそれを極めることは難しいものばかりです。しかし、この六つさえ備えれば、それでクリスチャンとして完成されたと思ってはならないのです。ほんとうの完成、本当のゴールに到達するまで、走りつづけてやまないパウロの生き方がここには表れています。そういう姿勢で生きることが、福音の敵対者たちへの戦いに繋がっています。

 さて、パウロはさらに言葉を続けて、「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい」と命じています。

 先ほど列挙した徳目では足りなくて、あのリストに加えて、「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たこと」をも実行するようにと命じているのではありません。

 そうではなく、結局パウロが教えてきたこと、伝えてきたことをたどっていけば、「徳や称賛に値すること」に行き着くことができるのです。パウロは世界中のあらゆる徳を探し回って身に付けることを命じているのではありません。むしろ、使徒たちが伝えたことの中に、それらが十分に語られていると考えているのです。従って、すべて真実なことを捜し求めて、世界古典全集や哲学大全を紐解く必要をパウロは考えていません。

 そして、パウロにとってはこの地上での歩みは完成へと向かう途上ではありますが、しかし、その途上でこそ、平和の神がわたしたちと共にいてくださることを実感できるのです。

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