キリストへの時間 2023年10月29日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 神にのみ栄光

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 「self-glorification」という言葉があります。普通、「自己美化」と翻訳される言葉です。自分に栄光を帰する、自分の栄光を自分で称える、というニュアンスの言葉です。人間は、常に自分を美化しがちな存在です。

 それに対して、宗教改革運動の集大成とも呼ぶべき信仰問答書のひとつ、「ウェストミンスター小教理問答」の最初の問と答えの中で、こんなことがしるされています。(問)「人の主な目的は何ですか」(答)「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、神を全く喜ぶことです。」これは、宗教改革運動の指導者たちの生き方そのものであると同時に、彼らが聖書から再発見した、人間の生きる究極の目的です。人間は神だけが持っていらっしゃる栄光を神に相応しく帰して生きていくこと、これが、人間の生きる目的だというのです。

 もっとも、人生の目的が、「神の栄光をあらわす」と言われてもあまりピンときません。しかし、その対極にある生き方と比べるときに、この小教理問答が言おうとしていることが、少しは理解できると思います。冒頭でも述べましたが、人間は、自分を美化し、自分を称えて生きていきがちです。そのような生き方は、やがて神がいなくても人間は生きていける、という考えを生み出します。

 ただそれだけに終わればまだよいのですが、自分を美化し、自分を褒め称える人間は、やがて他人が自分を称えることを強要するか、他人を見下すようになります。残念ながら、それが人間の罪深さです。おそらく、そのような生き方は、自分がするときには気が付かないでしょう。けれども、他人がそのような生き方に傾き始めたなら、たちどころにそのおかしさに気づくはずです。

 では、神の栄光のために生きるとは、具体的にどんな生き方なのでしょうか。それは、どんなことの中にも、神がかかわっていてくださることを見ようとし、そこにおられる神に思いを巡らせること、そして、神に感謝をあらわすことです。確かに、自分にとって喜ばしいことの中に神を見出だし、神に感謝することは簡単ですが、しかし、そうでない時に、そこに神を見出すのは難しいかもしれません。

 けれども、そのようなことの中にさえも神が働いてくださり、今は理解できないとしても、やがてはそこに働いておられる神の御手を知るようになることを信じて、忍耐深く生きることです。そのような生き方は、他者を見る目をも変えます。その人にも神の御手が働き、神の栄光をそこに見ようとするからです。そういう生き方こそが、「神にのみ栄光を帰する」生き方です。

 ところで、「神にのみ栄光」という言葉は、ラテン語で「Soli Deo Gloria」と言います。その頭文字をとって、「SDG」と記されることがあります。SDGというと、現代では、「持続可能な開発目標」の方が有名になってしまいました。バロック音楽時代のバッハやヘンデルは、自分の作曲した楽譜の最後に「SDG」、つまり「神にのみ栄光」と記しました。わたしたちからすれば、二人とも当時の音楽界を代表する偉大な作曲家です。しかし彼ら自身は、自分の栄光のために作曲したのではなく、神の栄光が褒め称えられることを願って作曲しました。偉大な人物だから「神にのみ栄光」と言えるのではなく、どんな陰ながらの働きであっても、神にのみ栄光を帰して生きることが大切なのです。



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