【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知県の土佐山田という場所で牧師をしています高内信嗣と申します。よろしくお願いします。
私には姉がいまして、姉は、あるロックバンドの大ファンです。先日、映画やアニメやドラマなどが視聴できるアマゾンプライムに、そのロックバンドのライブ映像が公開されていました。私はそれを視聴しました。とてもかっこよくて、興奮しました。そして、姉に「ライブ観た?」と聞いたところ、「3分しか観てない。時間ないんだわ」と言われました。私は反省しました。それもそうです。姉は二児の母でして、今は子育てに追われているからです。
赤ちゃんは、泣きたいときに泣きます。お腹がすいたらお母さんの都合などお構いなしに泣き叫びます。お母さんは、そんな赤ちゃんを育てるために、自分が行きたいところにも行きませんし、やりたいことも我慢します。母親にとって、我が子は自分よりも大切な存在です。自分よりも赤ちゃんのことを大切に思うからこそ、母親は、自分のことを犠牲にするのです。その子育ては、本当に大変だと思います。しかし、赤ちゃんを大切に育てる母親の姿は、本当に美しいと思います。そしてそれは、母親ということだけでなく、誰かの存在を大切にするものは全て、輝いているのではないでしょうか。
先日、「キリマンジャロの雪」というフランス映画を観ました。港町マルセイユを舞台にした熟年夫婦の物語です。夫は労働組合の委員長でしたが、会社のリストラにより、多くの同僚とともに解雇されてしまいます。その時、子どもたちが、夫婦の結婚30周年記念に、アフリカのキリマンジャロへの旅行券をプレゼントしてくれます。しかし、ある日、強盗に押し入られ、預金とともに旅行券も奪われてしまうのです。やがて犯人は、夫と一緒に解雇された元同僚の青年であることが分かりました。その事実を知った夫は、怒り、悲しみ、苦しみます。
実は、犯人は二人の弟を養っていました。犯人が逮捕されたことで、幼い弟たちは残されてしまいました。熟年夫婦は、残された弟二人に手を差し伸べずにはいられませんでした。この二人の弟を育てることを決断します。そして、手元に戻ったキリマンジャロの旅行券も換金するのです。犯人の二人の弟を養うために、貧しい生活は続いていきます。しかしそれでも、夫婦は幸せに満ちていました。この映画を観ながら、ここに人間の幸せの鍵があるように思えました。それは、自分の存在を犠牲にしても、誰かの存在を大切にするということです。
聖書の中に、「互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2:3-4)という言葉が出てきます。私の姉や、映画に登場する老夫婦の輝きは、この御言葉と重なり合うような気がします。相手の存在を、自分よりも本当に大切な存在として扱う時に、人間は、本当の意味で輝くのだと思います。この聖書の言葉を見る時に、私もそうでありたいな、と思わされます。自分よりも相手の存在を本当に大切にしたいな、と本当に思います。
そして、聖書は次のように続きます。ここが何よりも大切な部分かと思います。お読みします。「それはキリスト・イエスにもみられるものです。」(フィリピ2:5)相手の存在を、自分よりも大切にする、ということ。それは、イエス・キリストにこそ見られるものだと、聖書は語るのです。
イエスというお方は、病に苦しんでいる方、差別されている方、苦しみの中にある方々を大切にされました。そして最後は、人間の罪を全て背負って、十字架にお架かりになったのです。一人一人、そして、あなたのために、イエス様は命を投げ出してくださいました。ご自身の命を投げ出すほど、あなたの存在が大切だったからです。今朝、一緒にこのイエス様の愛に目を向けてみませんか。イエス様は今朝も、あなたを見つめ、あなたを愛し、あなたを大切にしてくださっています。