【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。南与力町教会牧師の坂尾連太郎です。
今月は、聖書から、平和とは何か、いかにして平和は実現するのかを学んでいきたいと願っています。
今朝は、エフェソの信徒への手紙2章14節から16節をお読みいたします。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
ここで言われているように、イエス・キリストこそ私たちの平和です。キリストは、「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊」されました。ここで言われている「二つのもの」とは、イスラエルと異邦人を指しています。キリストが来られる前、私たち異邦人は、イスラエルの民からは「割礼のない者」と呼ばれ、律法を守らず、神から遠く離れて生きる汚れた者と見なされていました。ユダヤ人と異邦人との間には、「敵意という隔ての壁」があったのです。
しかし、キリストは、「御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」、イスラエルと異邦人という二つもの一つにしてくださいました。「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」てくださったのです。それだけではありません。キリストは、「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼ」してくださいました。
私たち人間は、神に背き、神に敵対して生きていたのですが、キリストは、御自分の十字架によって、私たちの罪を償い、神と私たちとの和解を実現してくださったのです。そのようにして、キリストは、ご自分の十字架の死をもって、人と人との平和、さらには神と人との平和を実現してくださいました。そのような意味で、キリストこそ私たちの平和なのです。
もちろん、現実にはなお、敵意という隔ての壁が存在しています。世界においては、国と国、民族と民族とが対立し、敵対し合っています。ウクライナとロシアの間にも、また日本と韓国との間にもなお、隔ての壁があるのだと思います。人種差別もなお、根強く残っています。どうすれば、敵意という隔ての壁を取り除くことができるのでしょうか。人間的に考えれば、非常に難しいのだと思います。
私が神学生だった頃、韓国に行き、韓国の教会や神学校と交流を持つ機会がありました。そのとき、韓国の神学校の教授のご自宅で、夕食をいただきました。その先生は、食事の前に、このエフェソ書の御言葉を読み、私たちは韓国人と日本人であっても、キリストにあって一つであり、一つの体である、と語られ、祈りをささげられました。
私は、そのことに感動を覚えました。戦時中、日本人は、韓国や朝鮮の人々に対してひどいことをしてきました。政治の世界では今でも、そのことが問題になります。しかし、その韓国の先生は、すでにキリストにおいて、私たちは一つであり、平和が実現していると語られたのです。そして今、日本の教会には、韓国から多くの宣教師が来て、共に福音宣教と御国の進展のために働いてくださっています。
ここに、キリストにあって二つのものが一つになるという、平和の具体的な現われを見ることができます。過去に犯した過ちを見つめ、忘れないことは大切です。しかし、もし私たちが、過去に固執し、憎しみと敵意に捉われ続けるなら、いつまでたっても平和は実現しないでしょう。キリストの十字架の下でこそ、私たちは、互いに赦し合い、和解し、一つになることができます。そして、キリストにあって造られた「一人の新しい人」として、共に父なる神様に近づくことができるのです。