【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。南与力町教会牧師の坂尾連太郎です。
8月のメッセージを担当させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
今から78年前の8月6日、広島に原爆が落とされ、9日には長崎に原爆が投下されました。そして、8月15日には、終戦を迎えました。それゆえ、8月は、私たちが戦争や平和について考えるべき大切な時です。戦争は単に、過去の過ちとして片づけることはできません。戦争は今も、世界において続いています。国と国が争い続け、多くの尊い命が失われています。私たちは、平和を願いますが、それがなかなか実現しない現実があります。一体なぜなのでしょうか。今月は、そのような問題を念頭に置きながら、「平和」について考え、聖書の御言葉から、共に教えられたいと願っています。
そもそも、戦争や争いはなぜ起きるのでしょうか。個々の戦争の具体的な原因は、様々でしょう。しかし、聖書は、私たちの間で、戦いが起こる根本的な原因を指摘しています。ヤコブの手紙4章1から3節をお読みいたします。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」
ここに明確に示されているように、私たちの間で戦いや争いが起こる根本的な原因は、私たち自身の内部で争い合う「欲望」だと言われています。私たちが戦いや争いを起こすとき、自分の側には、正当な理由があると主張します。戦争を起こすときもそうです。いろんな理由を付けて、これは正しい戦争、正義の戦争だと主張するのです。しかし、結局は、私たちの内部にある欲望、他人(ひと)のものをも奪おうとする貪欲が、戦いの原因だと、聖書は指摘するのです。
キリスト教においても、「正義の戦争」や「聖戦」ということが主張されてきました。日本の教会も、第二次世界大戦においては、国が推し進めるアジア諸国への侵略戦争を正しいものとして支持し、協力したのです。日本キリスト改革派教会は、そのような自らの過ちへの反省と悔い改めからつくられた教派です。私たちは決して、他人事として、戦争について語り、批判することはできません。自らの欲望や高慢によって、戦争や争いを起こしてきたことを反省し、悔い改めることが必要です。
その上で、ではいかにして、私たちは、争いではなく、平和の道を歩んでいくことができるのでしょうか。イエス・キリストがお生まれになる少し前、洗礼者ヨハネの父ザカリアは、聖霊に満たされて、次のように預言しました。ルカによる福音書1章78節、79節です。「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」
私たち人間は、神に背き、罪を犯すことによって、「暗闇と死の陰に座す」悲惨な状態に陥ってしまいました。平和がなく、争いと流血の続く世界に住む者になってしまったのです(イザヤ59:7-8参照)。しかし、神様は、そのような私たちを深く憐れんでくださり、暗闇に座す私たちを照らす光として、イエス・キリストを遣わしてくださいました。キリストこそ、私たちの歩み、私たちの足を、争いではなく、平和の道へと導いてくださる真の光です。私たちは、自らの欲望に従って争いの道に突き進むのではなく、イエス・キリストという神からの光に導かれ、平和の道を歩んでいきましょう。