キリストへの時間 2023年6月18日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 弱い人ほど強い

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 聖書には、この世の常識とは違う価値観や世界観があります。だからキリスト教にはついていけない、と思われても困るのですが、この世の固定概念にとらわれて、息苦しさを感じている人には、ぜひ一度、キリスト教に触れてほしいと思います。

 たとえば、この世の価値観では、良い人間であることが求められています。良い人間は無理でも、少なくとも他人に迷惑をかけない人であれ、という暗黙のルールがあります。もちろん、キリスト教が、それとは全く逆のことを教えているわけではありません。違うのは、人間に対する考え方や見方です。

 「良い人間であれ」とか、「他人には迷惑をかけない生き方をせよ」という生き方のルールの背景には、人は努力次第で良くも悪くもなれる、という前提があります。また、その前に、人間は善悪を判断することができる、という前提があります。確かに、ある程度はそうかもしれません。しかし、キリスト教の教えでは、この常識が必ずしも常識ではありません。人間は、善悪を正しく判断できるほど完全ではない、と教えます。たとえ善悪を完全に知りえたとしても、それを実現するだけの力が無い、と教えます。随分、悲観的な人間観に思えますが、だからこそ、この世の悲惨さの原因を理解し、救いの必要性を悟ることができます。

 また、この世の常識では、「弱い」ということに積極的な意味を見出しません。弱い人間よりも、少しでも強い人間に価値が見出されます。弱い人間には、ダメ出しがされてしまいます。しかし、キリスト教の人生観では、弱いことは必ずしも意味のないことではありません。そもそも、全知全能の神と比べれば、強い人間など誰もいないというのが、キリスト教の世界観です。たとえ世界を支配する力を手に入れたとしても、それはせいぜい一時的なことです。何よりも、その人自身がやがては死んでしまうのですから、どんなに強いといっても、死には勝てません。

 キリスト教では、人間は弱く脆いものである、という前提で生きていますから、キリスト教の世界では、弱いことが必ずしもマイナスなのではありません。むしろ、自分の弱さを知って、神の力に依り頼んで生きる自由さがあります。この生き方には、時として、どんな力ある人間にも勝ることがあります。

 例えば、迫害のもとにあったキリスト教徒たちは、権力者たちから命の危険に晒されることがありました。「死」の恐怖には誰も勝つことができず、言うことを聞かざるを得ないと考えるのがこの世の常識です。しかし、弱いはずのキリスト教徒が、死を前にしても、自分の信仰の自由を貫き通します。そこまで大げさなことではなくても、威張り散らしている人の前でも、自分の弱さなど、少しも気にはなりません。神が自分の味方に付いてくださっているので、この世の強さなど、大したことではなくなってしまいます。

 病気さえもそうです。病気は誰にとっても嬉しいことではありません。もちろん、健康であることに越したことはありません。しかし、病に襲われるときにも、落胆の思いに打ちのめされることはありません。自分の弱さの中でこそ、神が力を発揮してくださると信じているからです。

 これは、お気楽な信仰でしょうか。そうかもしれません。しかし、自分の弱さに悩んだり、自分の強さを誇ったりするよりは、はるかに意味ある生き方をすることができると信じます。



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