キリストへの時間 2023年6月4日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: わたしと一緒に楽園に

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 「人は死んだらどうなるのだろう」。そういう疑問は、誰もが一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。わたしがそうした疑問を初めて抱いたのは、4歳ぐらいの時でした。

 その当時はまだ、キリスト教のキの字も知らない時でした。身近な誰かが亡くなったというわけでもなく、ただ、住んでいたアパートの裏に見える景色がお寺の墓地だったことと、通っていた幼稚園が仏教系の幼稚園だったこともあって、宗教的なことを考える環境は整っていたと思います。家には仏壇もあり、それが何だかはわからなくても、死んだ人と関係あることだけは直観的に理解していました。

 そんなある日のこと、おそらく、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の絵本を読み聞かされたことが影響したのでしょう。死に対する恐怖心が、夢の中にまで出てきました。その当時の自分にとっては、死後の世界は極楽浄土の話ではありませんでした。地獄の苦しみの方が、心の中に大きな位置を占めていたようです。そのとき見た夢は、それを持っていれば永遠に死ぬことがないお札のようなものを、近所の公園で配っているので、それが欲しくて列に並んだ、というところで、目が覚めました。今にして思えば、死んだらどうなるのか、という疑問を超えて、死にさえしなければ、死後の世界について心配する必要もない、という答えを、無意識に考え出していたのかもしれません。

 人は死んだらどうなるのだろう、という恐怖心は、年齢が進むにつれて、だんだんと薄れていきました。それは、安心できる何か確実なものを発見したからではありません。単に考えることを忘れていただけでした。そして、ついには、人は死んだらそれですべてがおしまい、という安易な結論で、幼い頃抱いていた疑問を封印してしまいました。それは、ある意味で、賢明だったかもしれません。なぜなら、実際に死んだ人が話してくれない限り、死後の世界について、どんなもっともらしい話も、所詮、人間の想像にすぎないからです。

 転機が訪れたのは16歳の時でした。そのとき、初めて聖書を手にして読みました。しかも、その動機は、宗教的な関心から出たものではありませんでした。ただ、姉の本棚にあった聖書に何が書いてあるのか、興味本位で手にしただけでした。その聖書の中に、十字架にお掛りになったイエス・キリストが、同じように十字架にはりつけにされた男の一人にかけた言葉が記されています。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)

 この男が救われるためにしたことといえば、「(自分は)自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。」(ルカ23:41)という告白と、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」(ルカ23:42)という歎願の言葉を述べただけでした。何か特別な良いことをしたわけではありません。ここには、キリストを信じる者に対する死後の明るい未来が約束されています。しかも遠い未来ではなく、「きょう」実現する約束が述べられています

 必要なことはただ、自分の罪を告白し、イエスに寄り頼むことです。その信仰の故に、イエス・キリストと共にパラダイスにいることが約束されるのです。イエスというお方は、わたしたちが生きているときばかりではなく、この地上を離れた世界でも、わたしたちと共にいてくださるお方なのです。



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