【高知放送】
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おはようございます。愛媛県の松山教会の久保浩文です。今朝のお目覚めは、いかがでしょうか。
5月と言えば、たくさんの花が咲き誇る季節でもあります。前の年の秋口から球根を植え、種をまき、肥料やりや水やりなど、手入れを怠らずにして春を待ちます。やがて時が来れば、長かった冬が過ぎ去るのを待っていたと言わんばかりに、一斉に芽を出し、様々な色の花を付けてくれます。5月の花で最初に思い浮かぶのは、カーネーションでしょうか。
5月の第2日曜日は、「母の日」です。母の日には、日頃の感謝の気持ちを伝えるために、カーネーションを贈ることが習慣化しています。日本にこの習慣が伝わったのは、明治初期の頃です。なぜ、母の日にカーネーションを贈るようになったのでしょうか。様々な説がありますが、母の日は、1910年にアメリカのウエストバージニア州に始まり、徐々にアメリカ全土に広まっていき、1914年に、正式に「母の日」として制定されました。背後には、アンナ・ジャービスという人の働きかけがあったと言われています。彼女の母親は、南北戦争の負傷兵の看護と衛生状態の改善に努めたそうです。母の死後、娘のアンナは、亡き母を追悼する集会を、教会で催しました。その時に、母親が好きだった白いカーネーションを参列者に配りました。これが、母の日の起源と言われています。
私は、結婚するまでは、母の日に、母親にカーネーションを贈ることはおろか、両親に感謝の言葉をかけることも、あまり十分ではなかったと思います。牧師でありながら、親不孝を重ねてきたと思います。結婚して、妻との間に3人の娘を授かりました。3人の娘が、其々に成長していく姿を目の当たりにしながら、あの時にこうしておけば良かったと思いめぐらすことも多く、後悔先に立たずという諺のとおりです。私も年齢を重ねるごとに、娘たちのこれからの成長と進むべき道が、主なる神さまに守られますように、また、私が世を去った後も、神さまの愛と慈しみが変わらずに注がれますようにとの祈りが、切なるものとなっています。
私が結婚した時に、妻の親戚筋の方々が愛唱していた讃美歌の一つに、510番があります。普段の主日礼拝では、あまり歌われることのない曲かもしれません。この曲は、4節までありますが、そのすべてに、同じ折り返しの歌詞があります。「春は軒の雨、秋は庭の露、母はなみだ乾くまなく、祈ると知らずや。」(讃美歌510 まぼろしのかげをおいて)です。私も結婚当初は、あまりピンとこなかった讃美歌ですが、自らが親となって子育てをしていくうちに、歌詞の含蓄が分かるような気がしてきました。
それと同時に、自分のこれまでの人生の中で、両親への感謝が少なかったことへの反省とともに、主イエス・キリストの父である神さまの慈しみが、どれほど深く、広く、高いものであるかを、改めて知らされた感がします。私たちは、皆が肉の親によって育てられ、親は子のために善かれと思う方法で躾、鍛え、育ててくれました。しかし、聖書によると、私たちは、神によって、この地上に命を与えられました。神は、私たちを時には厳しい試練にもあわせ、人生の荒波にも晒しますが、人生の全ての局面で、優しく、慈しみの御手を差し伸べて下さいます。
どの様な状況の下に置かれても、主イエス・キリストによって示された私たちに対する神の愛は、変わらずに豊かに注がれています。神の愛について、使徒パウロは、こう語っています。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高いところにいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38-39)
今、ラジオをお聞きのあなたも、どうか、主イエスを信じて、心にキリストを住まわせてください。そして、神の愛に励まされる人生をともに歩んでまいりましょう。