【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。愛媛県の松山教会の久保浩文です。今朝のお目覚めは、いかがでしょうか。
ゴールデン・ウィークも今日で終わり、明日から、何時もの生活に戻られる方も多いと思います。特に、この4月からの職場や学校などの新しい環境の変化に疲れて、もう少し休みが欲しいと思っておられる方もいれば、休暇の間にねじを巻きなおして、仕事、勉強に備えているという方もおられる事でしょう。
ラジオをお聞きの皆様は、私の話の前に、讃美歌をお聞きになられたと思います。素晴らしい讃美歌の歌声を聞きながら、心が安らいだり、目が覚めたりしていることでしょう。私にとって思い出に残る讃美歌の一つ、「こどもさんびか」に、「やさしいめが」という歌があります。 この「こどもさんびか」の1節の歌詞、「やさしい目が、きよらかな目が、きょうもわたしを 見ていてくださる。『まっすぐに歩きなさい』と 見ていてくださる。」(「こどもさんびか」改訂版114 詞:深沢秋子)は、私の心を温かく、和やかにしてくれます。
この歌は、私にとっての忘れられない思い出と重なっています。今から20数年前のことです。長女と次女が揃って、同じキリスト教会の幼稚園に通っていた頃のことです。次女のクラスに、新しいお友達みさきちゃんが、転入してきました。みさきちゃんは、他の子ども達のように、すらすらと言葉が出てこなくて、意志表示が苦手でした。でも、先生をはじめ、クラスのお友達は、みさきちゃんが何を求めているのか、理解してあげようとし、何とか友達の輪の中に入れてあげようとしていました。
ある時、クラスの先生が、歌の時間に、「やさしいめが」の讃美歌をオルガンで弾いて唱って下さって以来、みさきちゃんは、この曲がとてもお気に入りとなりました。みさきちゃんは、先生の手がすいていると見るや、オルガンのところまで先生の手を引いていき、オルガンの蓋を開けて、この曲を弾いてくれるようにと、おねだりするのだそうです。
暫くして、みさきちゃんは、お父さまの仕事の関係で、遠くに引越しをすることになりました。私は、その事を聞いて、娘たちに「みさきちゃんにお別れのプレゼントを差し上げては」と提案しました。そこで思いついたのが、みさきちゃんが大好きな曲を、テープに吹き込んでプレゼントする事でした。私の妻が教会にあるリードオルガンを弾いて、次女が曲に合わせて、「やさしいめが」を独唱しました。何せ、音響設備も十分ではない礼拝堂での録音です。上手くいくか心配でしたが、何とか録音は無事に終わり、みさきちゃんの最後の登園日に渡すことが出来ました。
その曲の歌詞のように、主なる神の愛と祈りの込められた優しい目は、今も、みさきちゃんを始め、私達一人一人に注がれています。目は口よりも多くを語る、と言われています。私達が、ふと寂しさ、孤独感を味わう時も、主イエスの目は、いついかなる時にも、変わらずに向けられています。主なる神は、私達を母の胎内に形作ってくださいました。詩編139編の作者は、そのことを「あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。」(詩編139:15-16)と語ります。
神は、私達がこの地上に生まれ出る前から、私達の内臓をはじめ、心の奥深いところまで、全てをお見通しなのです。それは、一見すると不自由なように思えます。しかし、それはちょうど、子供が遊んでいるのを遠くから見守り、転んだり、子供の身に危険なことが迫った時には、真っ先に子供の下に駆けつけ、手を差し伸べる保護者のようです。そして、迷子にならないように、進むべき道を誤らないように、いつも、温かい大きな手で支えて下さっています。
今、お一人でお過ごしの方、コロナ禍で外出を控えておられる方、今、ラジオの前の皆様、一人一人に主イエスの温かいまなざしが、今日も豊かに注がれるようにとお祈りしています。