【高知放送】
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「キリストへの時間」をお聞きの皆さん、おはようございます。忠海教会の唐見です。
今月は、モーセ五書シリーズとしてお話ししています。3回目の今日は、「レビ記」からお話しします。
モーセ五書三番目の書物「レビ記」は、おそらく五書の中で、最も読み通すのが難しい書物だと思います。モーセ五書に限らず、他の旧約・新約の書物を含めても、そう感じる人が多いのではないでしょうか。物語として読める部分はほとんどなく、律法に関する細かな記述が大部分を占めているからです。モーセ五書は「律法」とも呼ばれますが、五書の真ん中に位置するレビ記は、最も律法らしい書物といえます。
確かに、読み通すのが難しい書物ではありますが、理解が進めば、大きな喜びを得られる書物でもあります。律法は、究極的には「愛」に要約されるものです。律法の中で最も重要な掟は何か、という問いに対し、主イエスは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マタイ22:37)、そして、「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ22:39)とお答えになりました。後者の言葉は、レビ記にある言葉です(レビ19:18参照)。
「レビ記」という名称は、ギリシア語聖書七十人訳、そして、ラテン語聖書ウルガタ訳と続く伝統です。記されている律法の多くは、レビ族に帰されるものが多いので、この名がつけられたのでしょう。レビ記に残されている律法の規定は、出エジプト記からの続きで、シナイに滞在しているときに与えられたものです。レビ記の内容は、大きく4つに分けることができます。献げものに関する規定(レビ1-7章参照)、祭司の任職に関する規定(レビ8-10章参照)、清さと汚れに関する規定(レビ11-16章参照)、そして、神聖法集(レビ17-26章参照)と呼ばれる規定です。これに、献げものに関する付則が最後に置かれています。
これらの規定は、レビ族から出る祭司が直接行うか、あるいは、監督・指導の責任を負うべきものとして、レビ人であるモーセ、あるいは、アロンに語られています。ここで注目したいのは、祭司が担う働きの幅広さです。祭司の働きの中心は、もちろん祭儀を執り行うことですが、それ以外にも、さまざまな働きを担っていることがわかります。信仰全般に関する教育的な働き、病気への対応などの医療的な働き、やもめ、孤児、寄留者など社会的弱者への福祉的な働き、共同体の中で生じる問題を解決するための司法的な働きなど、多岐にわたっています。
祭司の働きについて、さらに注目したいことがあります。それは、聖書全体を通して考えるとき、祭司の働きが、信仰者全体に適用されているということです。たとえば、使徒ペトロは、次のように語っています。「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。」(1ペトロ2:5)、「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(1ペトロ2:9)
レビ記に記されている祭儀に関する律法は、現在のキリスト教会において、あるいはユダヤ教においても、行われていません。当時の祭儀の中心は、羊や山羊など動物を犠牲としてささげる礼拝でしたが、新約以降の礼拝では行われていないからです。しかし、祭司の働きは、いつの時代にあっても必要とされ続けています。祭司の働きの本質は、「和解」と表現することができると思います。第一には、神と人との関係における和解、そして、人と人との関係における和解です。祭司の献げる献げものは、壊れた関係を修復するためのもの、とりなすためのものです。
この祭司の働きは、究極的には、イエス・キリストによってなされました。主イエスの十字架による犠牲がそれを完成させ、そして今も、天上でとりなしの祈りがささげられている、と聖書は語ります。あらためて、主イエスが教えられた最も重要な掟に、耳を傾けたいと思います。「隣人を自分のように愛しなさい」、このレビ記の言葉は、わたしたちが神から託されている祭司としての働きのアルファであり、オメガです。