【高知放送】
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おはようございます。高知県香美市の山田教会で牧師をしています高内信嗣です。よろしくお願いします。
先日、アマゾンプライムで「パディントン」という映画をたまたま観ました。クマが人間の一家に招かれる、ドタバタコメディです。笑いが止まらない、実に楽しい2時間でした。原作は、世界中に愛されている「くまのパディントン」(マイケル・ボンド著)という児童本です。
ストーリーを簡単に説明しますと、主人公のクマは、ペルーで、ルーシーおばさんと一緒に暮らしていました。けれども、おばさんが年をとって、「老人」ならぬ「老グマ」ホームに入らないといけなくなったのです。おばさんはずっと、彼が大きくなったら移民させてやりたい、と思っていました。そして、地道に英語を教えてくれていたのです。そのこともあり、彼は、ペルーから密航して、はるばるロンドンにやってきました。
彼のコートには、「どうぞ、このくまのめんどうをみてやってください」と書かれた札がついています。そこに、ブラウン夫妻家族が通りかかります。クマが駅にいて、言葉を話すことに戸惑いますが、奥さんは、行く当てがないクマを見て不憫に思い、数日間、クマを泊めてあげることにしました。
そして、その駅が「パディントン駅」であったことから、クマに「パディントン」という名前をつけてあげることにしたのです。パディントンは、礼儀正しいクマでしたが、彼の周りには、ひっきりなしにトラブルが起こります。それでも、最後は丸く収まっていく。そしてパディントンは、ブラウン家の家族となっていく。そんなストーリーです。
小説の一作目の最後の場面で、ブラウン家の奥さんがこう言います。「うちの中にクマがいるっていいものねえ」。また、映画版の最後の方のシーンで、旦那さんの方が、「僕ら家族にはあのクマが必要なんだ」と叫ぶシーンがあります。拾われたパディントンでしたが、やがては、ブラウン家族たちにとって、大切な存在となったのです。
作者のマイケルは、パディントンとブラウン夫妻と出会うシーンが、子どもの時に体験した思い出が元になっていると語っています。第二次世界大戦中、ロンドンから疎開してきた子供たちが、名札を首からぶら下げて、ただずんでいる映像をニュースでみたことが、原体験となっているそうです。そのような路頭に迷う子どもたちにも、無限の価値があるということを、作者は子どもたちに伝えたかったのではないか、とも思わされています。
さて、一つの聖書のみ言葉を読みたいと思います。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」(ヨハネ14:18-19)。これは、イエス様のお言葉です。この言葉の文脈の中で、イエス様は、「聖霊」を送るということを約束されました。「聖霊」というのは、神様の存在そのものであり、また、神様の具体的な働きとも言えるかもしれません。
そして、ここにある「みなしご」というのは、孤児ということです。あなたがたを一人にはさせない。独りぼっちで悲しむことはさせない。神が具体的に関わってくださる、とイエス様はおっしゃるのです。「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。」(ヨハネ14:19)、このように、イエス様はおっしゃいました。イエス様の姿は見えませんが、私たちには今、イエス様のみ言葉が、具体的に私たちに与えられています。
私たちの人生も、パディントンのように、トラブルだらけかもしれません。駅で一人たたずむパディントンのように、孤独になることもあります。けれども、パディントンは、ブラウン夫妻に愛されました。誰かに愛されて、生きる道を教えていただければ、私たちも、自分が価値のある存在であることに気付きます。イエス・キリストというお方は、そのことを私たちに気付かせてくれました。
「あなたがたをみなしごにはしておかない」、「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」、生きる意味のない者など一人もいません。私たち一人ひとりは、必ず、「あなたが必要だ」と言われるべき存在です。何よりも、イエス様が、あなたを受け止めてくださいます。そして、イエス様ご自身が「あなたが必要だ」、そのようにあなたにおっしゃってくださっています。今日一日、あなたが自分の価値に気付ける一日となりますように。