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おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。広島県東広島市西条中央にある東広島教会の牧師をしております、李哲敏(イチョルミン)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。お近くに来られた時は、ぜひ、東広島教会にお立ち寄りください。
子育てをすると、分かることがあります。子供は、「魔の2歳」と呼ばれるイヤイヤ期が終わると、物や事柄、事象など、あらゆるものについて、「なんで?」「どうして?」と質問を繰り返す「なぜなぜ期」が訪れるということです。この時、親は、子供が同じ質問を数十回しても答えます。なぜなら、自分が知らないことをママとパパは全部知っている、答えてくれるという、親への絶対的な信頼をもって寄って来る子供が、愛らしいからです。
誰かに質問をするということは、自分が知らないことを認めることから始まります。そして、自分が知らないことを相手は知っているのだ、ということを信じた上で質問をします。自分が知っていることについて、他の人に聞く必要はありません。また、相手も知らないようであれば、それも質問する必要はありません。自分の物や事柄、事象などについて分からないことを認めること。それが、学びと知的成長の出発点だと思います。愛と信頼の土台の上で、子供は、絶えない質問を通して成長し、親は、子供の質問を通して育みます。
聖書は、神さまと私たち人間の関係を親子関係でたとえます。聖書の神さまは、人間のお祈り、願いを聞き、それに答えてくださいます。真実な信仰を持って謙遜に、神の教え、御導きを求めるものに、神さまは必ず、人間の知識、経験、力を超えたお答えを下さいます。
モーセを用いられ、エジプトからイスラエルを救い出した神さまは、モーセの死後、彼の後継者としてヨシュアをたて、彼に、「わたしはいつもあなたと共にいる」という、いわゆるインマヌエル約束と共に、カナン征服を命じられます。
神に信頼し、神の教えに従順に従うと、ヨシュアをはじめ全イスラエルは、神さまによる素晴らしい勝利を得ました。イスラエルが連勝したニュースは、カナン全土に広がったので、カナンに住んでいた部族たちは、イスラエルを恐れていました。その中に、ギブオン部族があります。彼らは、イスラエルとの全面戦を恐れて、賢く立ちまわって、うそをついてイスラエルと平和の協定を結ぼうとしました。
申命記7章2節で、神さまは、「カナンの部族と協定を結んではならない、彼らを憐れんではならない」と言いました。しかし、ヨシュアとイスラエルのリーダーたちは、ギブオンの人たちの見た目、話を聞いて憐れに思い、彼らと協定を結んでしまいます。これが、ヨシュアの失敗です。14節「男たちは彼らの食料を受け取ったが、主の指示を求めなかった。」15節「ヨシュアは彼らと和を講じ、命を保証する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓いに加わった。」(ヨシュア9:14-15)
ヨシュアの失敗は、表面的には、神さまが禁じられたカナンの部族との協定を結んだことですが、根本的な失敗は、主の指示を求めなかった、神に聞かなかったことです。一般的に、誰かへの質問をする理由は、自分が知らないことを知っている相手の答えを通して、物事を把握し、後にその知識を使うためです。ですので、質問をするとき、答えを期待するのは当然のことでしょう。
ところが、神さまへの質問は、私たちが一般的に持っている質問に関する概念と違います。私たちは、神さまに「神さま、どうすればいいですか」と、物事の選択の答えを求める祈りをすることがあります。このお祈りに、神さまは、超自然的なかたちで答えてくださることもありますが、大事なのは、神さまに質問をすること自体にあると思います。「神さま、どうすればいいですか」という問いには、「あなたの御心が知りたいです。あなたの教えに従います。」という、神様への従順な信仰が根底にあります。
神さまは、私たちが「あなたの御心が知りたいです。あなたに従います。」と言ったから、強制的に私たちを引っ張っては行かれません。神さまは、物事を決める決定権を、自由意志という形で私たちに与えてくださいました。けれども、私たちは、神さまに絶えず聞くべきです。なぜなら、神さまに聞くこの行為は、神さまこそ我が王、我が主であるとの神への信仰、信頼の証になるからです。
神さまが何より喜ばれるのは、私たちがご自身への信仰を表すことです。神さまからのお答えがあれば嬉しいですが、はっきりしたお答えがすぐはなくても、神様を信頼すべき理由は、聖書が教える神さまは、ご自身を信頼し、聞き従う羊たちを、緑の牧場と憩いのみぎわへ導く、私たちの良き牧者だからです。愛するみなさん、何でも、いつでも神さまに問い続けましょう。