【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。広島県東広島市西条中央にある東広島教会の牧師をしております、李哲敏(イチョルミン)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。お近くに来られた時は、ぜひ、東広島教会にお立ち寄りください。
私が住んでいる東広島は、昔からお水がきれいなところで、JR西条駅のすぐそばには、お酒を造る酒蔵がいくつもあります。そして、それらの酒蔵の入口には、誰でも飲める井戸があります。毎日出勤のため駅に行きながら、ペットボトルや水筒に水を入れていく人、近所の飲食店からは、大きい水タンクをいくつも持ってきて、仕込み用の水を入れる人がいます。私も、月2、3回は水をくみに、自転車で行っています。
主イエスは、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)と言いました。誰でも無料で飲める良い水があるという情報を聞いても、実際に行かないと、その水を飲むことはできません。そして、その水を飲んでみないと、その良さも分かりません。
福音の御言葉を聞くことと、それを聞いて従順に従うことも同じだと思います。永遠の命の水がイエスにある、教会にある、という情報を聞いて、教会へ行ってみないと、命の水を飲むことができません。福音を聞いて教会へ行ってみないと、イエス・キリストによる救いの喜び、感謝、平安、神の約束の成就への望みは経験できません。
井戸水の情報を聞いて、実際に行ってそれを飲んでみて、その良さを分かった人は、また水をくみに行くように、福音を聞いてその教えを従順に実践して、そこから、神さまの恵み、お祈りが答えられる経験をすると、さらなる神さまの恵み、信仰による喜びと望みを期待できることになり、続けて御言葉への信頼、従順することになると思います。そのようにして信仰が成長していくと思います。
ここで、覚えていただきたいことがあります。それは、井戸に行く時に、びんやボトルなどの容器を持って行くことです。もちろん、素手で行っても水を飲めます。手の平を丸くして飲めますが、それで飲むのは、その時だけです。持って帰ることはできません。
イエスという命の水を入れる容器は、私たちの心です。神さまへの信頼、恵みへの期待です。教会へ行く時、素手のような心で行っても、神さまの恵み、福音の恵みに与り、味わうことはできます。しかし、行く時に、神さまへの信頼、御言葉による恵みと平安、主にある交わりによる喜びなどの期待をもってきた人に、神さまは、きっとそれらを持って帰って飲める、さらに周りの人々に十分分け与えるほどの恵みを、与えてくださると信じます。
日曜日である今日、私たちの主イエスは、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」と招いておられます。イエスさまに命の水があります。詩編81編11節には、「わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。」とあります。この御言葉を信じて、私たちの信仰の口を広く開けて、大きな容器を持って、御前に進みたいと願います。