【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
1月も最後の週となりました。今朝は、マタイによる福音書7章15節から20節の御言葉に、耳を傾けたいと思います。これは、「山上の説教」の最後の部分で、イエス様が語られた教えの一つです。
イエス様は、今日の箇所で、「偽預言者を警戒しなさい」と注意を促しておられます。「預言者」とは、本来、神によって召され、神から託された言葉を語る者です。一方、偽預言者というのは、神から召されていないのに預言者だと自称し、神からの啓示を受けていないのに、自分の言葉を神の言葉として偽って語る者です。イエス様は、そういう偽預言者に警戒しなさい、気を付けていなさい、と言っておられます。
私たちが生きる時代にも、多くの偽預言者、また偽メシアが存在します。私たちは、それらに惑わされないよう注意していなければなりません。イエス様は、偽預言者たちのことを次のように表現しています。「彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。」(マタイ7:15)
偽預言者たちは、羊の皮を身にまとって、善良なキリスト教徒のふりをして、私たちのところに近づいてきます。私たちを油断させ、信頼させるためです。しかし、その内側は、強欲な狼です。キリストの羊を食い物にしようと狙っているのです。偽預言者というのは、表面的には、「羊」のように無害でおとなしいふりをしながら、結局は、自分が利益を得ようと、私腹を肥やそうと企んでいる「狼」です。私たちは、食い物にされないよう気をつけていなければなりません。
では、私たちは、正体を隠して近づいてくる偽預言者や異端を、どのように見分ければよいのでしょうか。イエス様が繰り返しおっしゃっているのは、「あなたがたは、その実で彼らを見分ける。」(マタイ7:16)ということです。ここで注意したいことは、イエス様は、私たちに、偽預言者の教えをまず聞いて、その「教え」によって彼らを見分けよ、とは言っておられないということです。
偽預言者の教え、異端の教えは、その内容がおかしいはずです。間違っているはずです。しかし、異端も、聖書を用い、解釈し、そこからさまざまな教えを引き出してきます。少し聞いただけでは、それのどこが間違っているのか、よくわからないということもあるでしょう。また聞いているうちに、それが正しいことのように思え、信じ込まされてしまう、ということも起こりうるのです。
イエス様は、偽預言者を、彼らの「教え」によってではなくて、むしろ「彼らの実によって」見分けよ、と言われます。すなわち、彼らの結ぶ実が良い実なのか、悪い実なのか、そのことによって、偽預言者、異端を見分けるのです。そして、イエス様は、良い木は悪い実を結ぶことができず、悪い木は良い実を結ぶことができない、とはっきり語っておられます。そして、「良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」(マタイ7:19)、すなわち、最終的には、神によって裁かれるのです。
偽預言者がいくら羊の皮をかぶり、いい人を装ったとしても、悪い木は、良い実を結ぶことはできません。真実に悔い改めていない人、神に立ち帰っていない人、キリストに結ばれていない人は、良い実を結ぶことができません。むしろ、悪い実、すなわち、性的な不品行やわいせつ、また、敵意や争いや分裂といった悪い実を生み出していくのです。一方、本当に悔い改め、キリストに結ばれている人は、少しずつでも良い実を結んでいきます。愛や喜びや平和という良い実を生み出していく。それゆえ、イエス様は、その実によって、偽預言者かどうかを見分けるよう教えておられるのです。
イエス様は、ご自分の羊たちが、偽預言者に惑わされないように、羊の皮をかぶった狼に食い尽くされないよう、注意を促しておられます。このラジオをお聞きの皆さんも、どうぞ、偽預言者に惑わされることなく、キリストによって召された真の預言者、真の教師や牧師を通して、御言葉を聞き、大牧者であられるイエス・キリストに聞き従って、歩んでいただきたいと思います。