【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。南与力町教会牧師の坂尾連太郎です。
今月は、「山上の説教」と呼ばれるイエス様の教えから学んでいきたいと思います。今朝は、マタイによる福音書5章13節の御言葉です。お読みいたします。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」
「地の塩」という言葉を聞いて、あなたはどのようなイメージを持たれるでしょうか。塩といえば、第一に、料理で使う調味料です。紀元一世紀のプルタルコスというギリシアの著述家は、次のように記しています。「塩は唯一の不可欠の調味料である。色にとって光が不可欠なほどに、味にとって塩は不可欠なものである。」イエス様は、ご自分の弟子たちが、「地の塩」として、この地上にあって必要不可欠な存在である、そのように言われたわけです。
さらに、塩には、味をつけるだけでなく、食材の腐敗を防ぐという効果もあります。当時は、肉や魚や野菜を塩漬けにして、腐らないように貯蔵しておくということが、広く行われていました。ですから、「地の塩」とは、地上が腐敗していくのを防ぐという役割も担っているのです。さらに、古代においては、塩が畑の肥料として用いられていました(ルカ14:34-35参照)。「地の塩」であるイエスの弟子たちは、この地が神様の前に良き実を結ぶのを助ける、肥料のような役割をも果たすのです。
しかし、イエス様は、同時に警告も発しておられます。「だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」私たちの感覚では、塩に塩気がなくなる、というようなことは、まず起こらないと思います。しかし、古代における塩は、海水から作られたもので、多くの不純物を含んでいました。湿気などによって、その成分が分解され、塩気を失ってしまう、ということが実際にあったようです。イエス様は、あなたがたはそうなってはいけない、と警告しておられるのです。
ここで、「塩気がなくなる」と訳されている言葉は、もともと「愚かになる」という意味があります。そこから、「効き目をなくす、効力を失ってダメになる」という意味があります。イエスの弟子たちは、「地の塩」として、地上において、必要不可欠な存在なのですけれども、愚かになり、効き目を失ってしまう危険性もあるのです。
使徒パウロは、ローマの信徒への手紙12章2節で次のように語っています。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
もし私たちが、この世に倣うなら、この世と同じ形となるなら、それは、塩気を失ってしまうことになります。塩気を失わずに生きるために、私たちは、この世の基準や価値観に従って生きるのではなく、神の言葉と、そこに示された神の御心に従って、生きていきたいと思います。そのようにしてこそ、私たちは、「地の塩」として、この地上にあって、それぞれの置かれた場所で、大切な役目を果たしていくことができるのです。