おはようございます。 松戸小金原教会の三川共基です。
感動したこと、興奮したことを、あなたはどのように表現しますか。私は、感動や興奮を、ただ舌先でのみ表現することは難しく感じています。
聖書の語る神は、この世を造られたとき、人間をも造り、口や舌を与えました。口を開き、舌を用いて祈り、賛美することは、特別な賜物です。けれども、神が人間に与えたものは、それらだけではありません。手や指先、足や表情、五感やバランス感覚など、与えられたすべてを用いて、祈り、賛美するということも、あって良いのではないでしょうか。スキップしたいほど喜んでいるときに、その気持ちや体の自由を押さえつけてしまうのは、いささかもったいない気がします。
もちろん、人それぞれに感動の表現方法は違いますから、それぞれに祈り方の違いがあって良いのでしょう。また、あれもこれも、いろいろな方法を試すことが、必ずしも良いというのではありません。ただし、それぞれに与えられている賜物は違いますから、その賜物をただの飾りに留めることなく、たくさん用いていくならば、それは、あなたにとっても楽しみとなるのではないでしょうか。
今日、あなたはどのようにして祈りをしてみますか。その祈りの時間が、まるで映画のクライマックスのシーンで呼吸を忘れて見入っていくような、感動あふれる時となることを願っています。