おはようございます。坂戸教会の酒井啓介です。
私は普段車を運転していて、とてもありがたいと思うことがありました。車に乗らないリスナーの方も、今、少し耳を傾けくださるとうれしいです。
先日、まっすぐ道路を走っているつもりだったのに、走っている最中にアラームが突然なり、驚いたのですが、それは車線をはみ出しそうなことを知らせるアラームでした。私はまっすぐ走っているつもりでしたが、その「つもり」だっただけでした。そのアラームがなければ、気付くのが遅れていたでしょうし、事故を起こしていたかもしれません。実際にそのアラームを体験してみて、とてもありがたいなあと感動してしまいました。
あなたは、今日も人生という道を運転している、と考えてみてください。その道を、自分ではちゃんと進んでいるつもりでも、無意識にずれていたり、はみ出しそうになったりする時、このアラームのように、危険を知らせてくれるものがあると大変助かると思います。聖書の言葉は、このアラームのような役割があります。正しいと思う道を外れてしまいそうな時、気付かせてくれます。
聖書で、ある信仰者は、神の言葉は「私の足のともしび、私の道の光」(詩編119:105・新改訳)だと言っています。人生における大きな事故を防ぐための気付きを、聖書の言葉は教えてくれます。