いかがお過ごしですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
旧約聖書のイザヤ書第45章10節に、こう記されています。「災いだ、なぜ子供をもうけるのか、と父親に言い なぜ産みの苦しみをするのか、と女に問う者は。」
私は若い頃、親に対して、「なぜ自分を産んだのか」と恨みがましく思ったことがあります。ただ思うだけではなく、口にしてしまったこともあります。もし今、自分の子供からそのようなことを言われたら、私の心は引き裂かれるような痛みを味わうと思います。
聖書は、「なぜ子供をもうけるのか」と父親に言う者、「なぜ産みの苦しみをするのか」と母親に問う者は、災いであると言います。なぜなら、人間を男と女に造られた神様が、「産めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ」と祝福されているからです(創世記1:27-28参照)。神様は、人間を男と女にお造りになり、結婚の制度を定め、人間が増えていくことを祝福としてお命じになりました。それゆえ、「なぜ子どもをもうけるのか」と父親に言い、「なぜ産みの苦しみをするのか」と母親に問う者は、災いであるのです。
しかしそもそも、なぜ、そのような災いの言葉を口にしてしまうのでしょうか。それは、人生が苦しみに満ちているからです。その人生の苦しみから解放してくださる御方が、神の御子であり、罪人の救い主であるイエス・キリストであるのです。