いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
貧しいのと裕福なのと、どちらが良いかと問われれば、誰もが裕福な生活と答えるでしょう。しかし、金持ちは神の国に入れないと言われると、どうでしょうか。確かに財産があれば、生活の不安は無くなります。子供の教育も、老後の不安も無くなるかも知れません。ただ、財産は有限で、信頼しても使えば無くなります。
それでは、貧しい人々はどうでしょうか。もちろん、貧しいだけでは不幸です。しかし、イエス様は、「貧しい人々は、幸いである」(ルカ6:20)と言われました。イエス様が語る貧しさは、極貧であり、物乞いをしなければ生きていけないほどの貧しさを意味しています。イエス様は、その幸いの理由を、弟子たちに、貧しさの中でイエス様に寄り頼み、イエス様の教えと力を信ずる者は、神の国に入ることができ、神の国はあなたがたのものであるからだ、と言われました。
ですから極貧でも、イエス様を信頼している人々は幸いです。イエス様を信ずれば裕福になるわけではありません。そうではなく、神の国がわたしたちのものとされるので幸いです。極貧になれば、わたしたちは、イエス様を信頼するしかありません。そしてイエス様を信頼する時に、わたしたちは、明日も無事でいることを信じて、明日を待つことができます。
今、わたしたちは、極貧ではないかも知れません。けれども、住宅ローンや、教育ローンなど借入金があるかも知れません。健康で仕事が安定していれば何とかなりますが、明日のことは分かりません。もし、自分に何かあれば、返済が滞り、貧困に陥るかも知れません。しかし、イエス様を信頼すれば、神の国に入れられ、神様の配慮のもとに置かれますから、わたくしたちは貧しくても必ず守られます。様々な手段を用いて、神様は、わたしたちを支えてくださいます。ですから、貧しくても幸いなのです。