おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。筑波みことば教会、牧師の朴徹です。
聖書では、愛を尊いものとして教えています。では、聖書が示す愛とはどのようなものでしょうか。
誰かを愛するとは、相手を「大事にする」とか「大切にする」という言葉で言い表すこともできるでしょう。それも適切な言い方ですけれども、新約聖書ヨハネの手紙第一の4章9節では、このような言葉があります。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。」
この「わたしたちが生きるようになるため」という言葉は、聖書の愛をよく表していると思います。神様は、御自分の大切な御子であるイエス・キリストを世にお遣わしくださいました。この方は、私たちを罪と死の滅びから救うために、十字架にかかり死んでくださいました。つまり、私たちが生きるため、命を得るために、なんの見返りもなしに、御自分が犠牲となって死んでくださったのです。
神様の愛は、人を生かすものです。その神様の独り子であられるイエス様に出会った人は、立ち上がって生きるようになるのです。そして、神様の見返りのない愛に感謝して、イエス様がどこまでも人のために生きられたように、人を生かすことに努められたように、今度は、自分が人を生かすことができるようになりたい、と願う。それが、クリスチャンに求められる愛であり、聖書が教える愛なのです。