いかがお過ごしですか。新潟教会牧師、長谷川はるひと申します。
「わが世にあらん限りはかならず恩惠と憐憫とわれにそひきたらん 我はとこしへにエホバ(主)の宮にすまん」(詩編23:6・文語訳)
「添い来たらん」というのは、「寄り添うようにやってくるでしょう」ということです。恵みや憐れみは、前からではなく後ろから、わたしを追いかけて来ます。わたしが、自分の前方にある恵みや憐れみを得ようとして追いかけるのではなく、恵みと憐れみの方が、わたしの後ろから、わたしを追いかけてくるのです。わたしたちが、ひたすら前を向いて進んでいるときに、わたしの後ろから、見えないところから、わたしに寄り添うように、恵みと憐れみがやってくるのです。「わが世にあらん限りは」、わたしがこの世に生きている間、かならずそうなるでしょう。
「われはとこしえに主の宮に住まん」、主の宮とは教会のことです。教会では、神さまを礼拝します。神さまのみ言葉を聞き、神さまに祈り、神さまを讃美します。教会生活を送る中で、神さまの恵みと憐れみが、わたしたちに寄り添うようにやってきます。恵みと憐れみが添い来たる生活は、永遠に続く、新しい命を生きる生活です。
「わが世にあらん限りはかならず恩惠と憐憫とわれにそひきたらん 我はとこしへにエホバ(主)の宮にすまん」(詩編23:6・文語訳)
※音声では「エホバ」を「主」と読み替えています