おはようございます。花見川キリスト教会牧師の中山仰です。
初めに、ある視覚障がいの方から新聞に寄せられた投書をご紹介いたします。
電車から降りようとしたとき、腕を差し出して誘導してくれた方がおられました。プラットホームに降り立った後、その方の娘さんと思われる女の子が、「お父さん、あの人とお知り合いなの?」と聞いたそうです。その時、お父さんと思われる人は、「そうだよ」と一言いってその場から離れたそうで、とても良い印象を持たれた、という趣旨のことが書かれていました。
ドライブの途中で、行き違う車に道を譲り合ったり、譲られたりするのを見た孫たちが、その度に「じいじ、今の人知っている人?」と尋ねられました。「ううん、譲ってくれたお礼として挨拶しているのだよ」と答えました。そのような時、私も、前述の視覚障がいの方に手を差し出した方のように、孫たちに「そうだよ、みんな知り合いなんだよ」と答えた方がよかったかな、と思ったりしました。
私は仕事の都合で、静岡教会で7年過ごす機会が与えられました。静岡教会は全盲の青山輝徳牧師が開拓した教会です。目の不自由な方々への接し方を教えられていましたので、道を歩いているときに盲人の方に出会うと、導き手として「肩がよいですか、腕がいいですか」と案内することがあります。
しかし、前述のような親子の会話にあるような、その人の友となっているか、ということを反省させられました。私のやっていることは、イエスさまがおっしゃった「この最も小さい者の一人にした」(マタイ25:40)こと、という範疇に入っていないからです。