おはようございます。東京恩寵教会牧師の石原知弘です。
キリスト教信仰は、「神を信じる」というところから始まります。当然と思われるかもしれませんが、そこでまず大切なことは、「信じる」という私の気持ちの強さや心の純粋さではなく、「神がおられる」という事実です。聖書は、この世界と人間を造られた唯一の神がおられる、と教えています。その神を信じます。
私がまだクリスチャンではなかった大学生のとき、友人に連れられて行った教会で、牧師さんに言ったことがあります。「まあ、教会の神さまは、信じている人にはきっといるのでしょうけど、僕のように信じていない人には、いないのでしょうね。」
今振り返ると、ずいぶん生意気な言い方だったように思いますが、その先生は優しく言われました。「そんなあなたの後ろにいますよ、聖書の神さまは。」思わず後ろを振り返りそうになりましたが、そのちょっとした言葉は、私にとっては大きな言葉でした。宗教は、人それぞれの考え方と思っていましたが、キリスト教は、私が思っているよりも、もっと深いものなのだと知りました。
私の好きな聖書の言葉に、詩編139編18節があります。「その果てを極めたと思っても わたしはなお、あなたの中にいる」。「あなた」とは、神のことです。自分で考えて、仮に「神はいない」と結論を出したとしても、その人は、神の中にいます。聖書の神を信じるとは、そのように確かにおられる神に気づくことなのです。