ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
私たち夫婦には、3人の子がいます。まだ子供たちが小さかったころ、真ん中の子とのコミュニケーションが不足しているのではないか、と妻に言われて、父子二人で、遊園地に遊びに送り出されたことがあります。
その日は、特別その子と過ごすことにして、色々と乗り物に乗ったり、ゲームセンターのゲームをしたりしました。こちらとしては、今日はその子が自由に存分に遊べるようにと思って、資金も持って行ったのですが、どうやら何となく気をつかっているようで、乗り物に乗るにも、食べ物を買うにも、ゲームをするにも、ちょっと遠慮がちでした。せっかくだから、何でも好きなようにしたらいいのになあ、と思ったのを覚えています。神様も、恵みを準備しているのに、人間の側が遠慮がちになると、残念に思うだろうなあ、と思わされました。
聖書では、神様は大変恵み深い、恵み豊かなお方だ、と教えています。恵み豊かであるということは、その恵みを存分に人間に与えたいわけです。そうでなければ、せっかくある恵みがもったいないことになります。人間の側は、遠慮がちになり、自分にも恵みが与えられるだろうか、何かこちらもしないと恵みにあずかれないのではないか、自分はこの程度で、などと考えてしまうことがあります。
そういう遠慮は、かえって神様を残念がらせます。神様から、豊かに恵みをいただこうではありませんか。聖書は教えます。旧約聖書詩編34編9節「味わい、見よ、主の恵み深さを。」