ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
私には、3人の子供がいます。みんなもう成人し、それぞれ独立しています。町で小さい子供を連れた親子を見かけると、自分たちの子育てのことを思い出します。反省点が多いものです。
ある時、男の子が小学生の低学年の時だったか、こちらがあまりにも頭にきて、激しく怒ったことがあります。何となく気まずい思いのまま、次の日の朝を迎えました。子供がどういう態度に出てくるか、少し気にしていました。ところが、子供の方は、何事もなかったかのように、全くいつもの様子で接してきたので、ちょっと拍子抜けしてしまうほどでした。怒られたということで、何か親子の関係が気まずくなるなどとは、全く考えていなかったのです。
イエス様は、子供のように神の国を受け入れる、ということを教えられたことがあります(ルカ18:15-17参照)。その「子供のように」という意味の一つは、平気で神様のところに行く、ということでしょう。何かご機嫌をとらないと神様に受け入れてもらえないとか、立派な行い、多額の献金、何かをしなければ、神様との関係が保てないとか、そんなことは考えないのです。
素直に、そのまま、神様のところに行くということです。一つ二つの出来事で、神様との関係が気まずくなるとか、もう見捨てられるのではないかとか、そんなふうには思わないのです。子供が親のところに平気で行くように、神様のところに行きましょう、信じましょう。