ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
人から聞いた話ですが、アメリカからの宣教師が、街頭で、キリスト教の話をしていたときのことです。
周りに人が集まってきました。話の途中でお札を取り出して、これを差し上げますと、聞いている人の前に指し出したそうです。そうしたら、聞いている人たちは気持ち悪がって、後ずさりをしたということです。ただでお金をくれるはずがない、何か裏があるのではないか、それこそ変な勧誘をされるのではないか、などと思ったことでしょう。ただほど高いものはない、というわけです。
しかし、その宣教師が示したかったことは、神様の恵み、救いというのは、そういうものだということだったのです。ただ受け取ればいいというものなのです。人は何かもらうのに、ただというのはおかしい、何か見返りを要求されるのではないか、裏があるのではないか、と思ってしまいます。しかし、神様の恵みは、本当に一方的な恵みなのです。それを受け取るか否かなのです。
同じような実験を、今度は私もやってみました。お金ではなく、物でした。そうしたら、後ろから子供が出てきてもらっていき、母親に「わーい、もらっちゃった」と報告していました。なるほど、イエス様が教えられたとおりです。すなわち、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」ルカによる福音書18章17節です。