おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田です。
今週は、教会の礼拝のこと、聖書の説教について、知っていただきたいと思っています。
イスラム教の聖典である「コーラン」という書物は、アラビア語で書かれたものだけが聖典で、翻訳されたものは聖典と認められないのだそうです。仏教でも、「真言」というものは翻訳をしないものだ、と聞いたことがあります。それに対して、聖書は、積極的に翻訳をします。そして、翻訳した聖書も、もちろん聖書です。実際、日本語の聖書は、聖書の研究の進展と同時に、日本語の変化も考え、若い方でも理解できるように、30年ほどの周期で新しい翻訳を作ってきたのです。
聖書は、読まれて理解されることが必要なのです。礼拝で牧師は、できるだけ皆さんに分かっていただけるようにお話しします。正直なところ、私も時々、話が難しいと言われることがあります。分からない時は、ぜひ質問してください。できる限りお応えすると思います。誰であっても、聖書は、理解できれば力になります。頭で理解するだけでなく、心に収まれば力になります。ぜひ、聖書の言葉に耳を傾けてみてください。
聖書をお読みします。「民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。」(ネヘミヤ8:12)