いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
「手をたたく」というのは、喜びの現れです。特に勝利の時、湧き上がる喜びは、自然に拍手、叫び、踊りになっていきます。聖書の詩編には、このような勝利の喜びにあふれた行進の様子を描いたものがあります(詩編47編参照)。
その中心にいるのは、偉大な王です。王が進んでいきます。その周りを多くの人たちが取り囲んでいます。その行進に加わった人たちは、みな喜んで手を打ち鳴らしています。高らかに角笛が鳴り響きます。そして、取り囲んだ人々の歓呼の声の中を、王と人々は一つになって、喜びながら、前へ、前へと進んでいくのです。それは、ベートーベンの歓喜の歌を思い出させます。
この行進は、イスラエルの祭りの様子が反映していると言われています。けれども、そこに参加するのは、イスラエルの民だけではありません。この詩には、「すべての民」(詩編47:2)とあります。どの国に住んでいようとこの行進に参加する、そして、一緒に喜ぶようになるのです。このようにして、世界中の人が喜ぶ時が来る、というのがこの詩のテーマです。
では、そのような喜びの時とは、どのような時でしょうか。実は、この詩に登場する王は、人間の王ではありません。聖書には、「神は諸国の上に王として君臨される。」(詩編47:9)とあります。世界を造った神こそは、全地に君臨する王だ。その王の守りが、このわたしにもあなたにもある。そのことを知らされる時、みんなで喜ぼう。この詩は、このように招いているのです。