いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
聖書の詩編には、戦いを思わせるものがいくつもあります。それは、イスラエルという国が危険にさらされていた歴史を反映しているのでしょう。
そのような詩の中で、一つの言葉が目を引きます。「神はわたしたちの避けどころ」(詩編46:2)「避けどころ」というのは、古い言い方ですが、避難場所くらいの意味です。そうしますと、神こそが最後の頼りになるところ、と言っているのです。このような言葉に触れますと、普段、神をあまりあてにしたことはないかな、戦争になったら神ではなく、最後は武器なのでは、と思われるかもしれません。
しかし、この詩では、戦争以上のこと、天変地異とでもいうような出来事、例えば、大陸そのものが変形したとしても、神は必ずその所にいて助けてくれる、と言います。それは、聖書の世界観においては、神こそが我々の生きる歴史のカギを握っている、と信じるからです。そのような信仰を詩人は、「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。」(詩編46:9)という言葉によって表しています。
世界を圧倒する神が自分と一緒にいてくれる、そこにこそ本当の安全がある、だから、その神のされることをしっかりと見ていこう、というのです。このような信頼が、現実的であるのか、あるいは間違っているのかは、後にならなければわかりません。しかし、もし、本当であるなら、実は私たちは、一番頼りになるものが何か、今すでに知っていることになります。