おはようございます。銚子栄光教会の牧師、佐野直史です。
今日も、聖書の言葉に聞きたいと思います。
旧約聖書の出エジプト記において、イスラエルの民は、奴隷の家エジプトの国から神様に導き出され、約束の地を目指して、荒れ野を旅していましたが、そこには食料や水がなく、神様は、日ごとに天からのパンである「マナ」を降らせ、人々の命を養われました。
後に、神様は、そのような方法を採られた理由として、次のように明らかにされました。「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」(申命記8:3)
神様は、人々にマナを食べさせた理由として、人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出るすべての言葉によって生きることを知らせるためであった、と言われます。つまり、天からのマナの養いのお話は、私たち人が、体に必要な食べ物だけで生きているのではなく、心に必要な糧、天からの神の言葉によって、日ごとに生かされていることを教えているのです。
私たちの住む世界は、体に必要なパンはあっても、心に必要な命のパンが見つからない、荒れ野のような世界が広がっているかもしれません。しかし神様は、そのような中で、日ごとに神の言葉である聖書の御言葉によって、私たちの心を養い、満たしてくださるお方なのです。