おはようございます。銚子栄光教会の牧師、佐野直史です。
今日も、聖書の言葉に聞きたいと思います。
今日は、旧約聖書の出エジプト記にあるお話をしたいと思います。エジプトの国で奴隷として苦しんでいたイスラエルの民は、指導者モーセを通して、神様によって救い出され、エジプトを脱出することができました。しかし、約束の地までの道のりは遠く、イスラエルの人々は、食料と水がない荒れ野を旅しなければなりませんでした。
ちょうど一か月経った頃、人々は次のように不平を言いました。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」(出エジプト16:3)
神様が、そもそもどうしてイスラエルの民をエジプトから導き出されたかというと、それは、彼らが苦しみのゆえに、神様に助けを求める祈りをささげたからでした。けれども、彼らはもうここで、その神の恵みを忘れ、過去を美化して、「エジプトにいた時の方が良かった」と、不平を述べるのです。しかし、そんな彼らであるにも関わらず、神様は、彼らの不平を聞いてくださり、天からのパンである「マナ」をもって、人々の命を養ってくださったことが聖書に記されています。
私たちも、ともすれば、神様に与えられている恵みを忘れ、神様に不平ばかりを言ってしまうことがあるかもしれません。しかし神様は、そんな私たちの不平を聞いてくださり、なお天からの恵みを注いでくださるお方です。