おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
今日は、「敵を愛する」という聖書の言葉を手掛かりにお話いたします。
イエス様が生活しておられた当時、『隣人を愛し、敵を憎め』(マタイ5:43)という教えがありました。聖書地域に住む人にとって、「隣人」とは、協力し合える同じ民族同士のことでした。つまりそれ以外は、同じ神を信じていない人たちなので、敵だと思っていたのでした。けれどもイエス様は、そんな人々に対して、「それは違います」と言われ、「敵を愛すること」を教えたのでした。このお話、皆さんはどうお感じになるでしょうか。
私たちにも、敵とまでは行かないまでも、苦手な人はいると思います。殺意を抱かないまでも、ストレスを覚える人がいると思います。「イエス様のこの教えは偽善だ、敵をも愛するなんて、私にはそんな事は出来ない」、こう思われるでしょうか。しかし、こう思ってしまうところに、実は、聖書の教えよりも自分を先立てしまう罪が現れ出てくるのです。
私も日々、この思いとの戦いにあります。見え隠れする罪と戦っています。これがクリスチャンの生き方です。清い者がクリスチャンではない。罪を知り、時には負け、悔い改めながら、それでも聖書の言葉こそ正しいとし、これに生きる者こそ、クリスチャンです。