おはようございます。横浜中央教会の牧師、大宮季三です。
昨年2022年、「知らんけど」という関西弁が、流行語大賞のトップ10入りを果たしました。大阪出身の私からすれば、昔から使っている言葉なので、「何で今更流行語やねん!」という気がしました。
さて、聖書にも、「知る」という言葉が、多く、しかも重要な意味を持って登場します。しかし、私たちが使う「知る」とは、少し意味が違います。「知る」という言葉は、旧約聖書が記されたヘブル語では「ヤダー」と言います。「ヤダー!知らないの?」と覚えてください。この言葉は、互いに知り合っている、相互の深い関係を意味します。つまり、一方的に知っているだけでは「ヤダー」ではありません。
例えば、日本語の意味であれば、「私は大谷翔平を知っている」と言えます。野球が好きな私は、彼がアナハイムエンゼルスというチームの選手で、日本でもアメリカでも、投手と打者のいわゆる二刀流の選手であり、2021年にはアメリカンリーグのMVPを獲得したということを「知っている」からです。しかし、ヘブル語の「ヤダー」とは言えません。なぜなら、彼は私の顔も名前も知らないからです。残念ながら、私は世界のスーパースターとは、「知り合う」関係、「ヤダー」の関係ではありません。
しかし、人間は誰でも、特別な条件なしに、世界を造られた真の神様と、「ヤダー」の関係、互いに知り合う深い関係へと招かれています。世界を造られた真の神様は、あなたに命を与えられた神様です。ですから、あなた以上にこの神様は、すでに、あなたのことを知っておられます。そして、真の神の子であるイエス・キリストを自分の救い主と信じるのであれば、永遠に神との関係に生きるものとされます。イエス・キリストを通して差し出されている、神様との深い関係に、あなたも招かれています。