おはようございます。横浜中央教会の牧師、大宮季三です。
私は小学生の頃から野球を観るのが趣味なのですが、昨年春の高校野球の甲子園大会で、こんなことがありました。なんと、審判が誤審を認めて、「大変申し訳ありません」と場内アナウンスで謝罪をしたのです。こんな光景は見たことがありません。高校野球では、選手が抗議することすらありません。それぐらい審判は絶対です。そして、一度下した判定を覆すことは、よほどのことがない限りありません。しかし、この審判は、自分たちのミスを認めて、判定を覆すとともに、謝罪をしました。この行為に対して、多くの賛辞が送られました。
聖書は、イエスキリストの十字架による救いを告げ知らせます。ではなぜ、救いが必要なのかというと、それは人間が皆、罪人だからです。聖書は、すべての人間は神様の前に罪人であると告げます。しかし、その宣告は、「あなたはダメな人間だ!」、と刻印を押すこと自体が目的ではありません。「罪人のあなたのために、イエス・キリストが十字架にかかってくださった!」、この大きな神様の愛を受け取って生きることが目的です。
自分が罪人であると認めるところに、大きな神の愛が差し出されます。間違いを認めた審判が賛辞を受けたように、一人の人間が罪を認めるならば、天にいる真の神様に仕える天使たちは大喜びだと、聖書は記しています。罪を認めるところに差し出される神様の大きな愛に、あなたも招かれています。