おはようございます。川越教会牧師、木村恭子です。
今週は、教会に行くこと、礼拝の恵みについてお話ししています。
昨日は、私の信仰のスランプの話でしたが、実はこれ、結構長く続きました。その間に私は結婚し、転居しました。ところが、転居先にも、近くに同じ教派の教会があったのです。その時は「偶然」と思いましたが、そうではなく、これは神の配慮でした。
スランプから脱してはいなかったけれど、それでも、私は礼拝出席の努力をしました。子どもが生まれると子どもと一緒に、子どもが少し大きくなると、教会学校に出席しました。そんな中で、教会学校教師と奏楽の奉仕が再び与えられ、気が付くと、毎週の礼拝が喜びになっていました。
人生には、いろんな時があります。礼拝に出席することが苦痛に思える時や、いろんな事情で困難な時もあるかもしれません。でも、教会に、礼拝につながっていることは、実は、イエス・キリストにつながっていることなのです。
イエスはこう教えます。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:4-5)