おはようございます。川越教会牧師、木村恭子です。
今週は、教会に行くことの恵みを考えています。
私が20代前半の頃、信仰のスランプになり、教会に行くことが苦しくなりました。そして、ある日曜日の朝、礼拝に行こうすると、どうしても体が動かないのです。それで、今日は礼拝を休もう!と、一大決心してベッドに潜り込みました。ところが、礼拝の時間が迫ってくると、今度は不安で落ち着かなくなりました。そして結局、礼拝に向かったのです。
教会に着くと、開始時間を5分くらい過ぎていたのに、なぜか礼拝が始まっていません。私が入っていくと、受付の人が、「奏楽者が急な欠席で…。奏楽をしてくれる?」と言われ、そのままオルガンの前に座りました。私の奏楽で、その日の礼拝が始まったのです。礼拝の開始時間が遅れるなど、普段なら考えられません。その時、私は思いました。神が私を待っていてくださったのだと。オルガンを弾きながら、涙が溢れました。
神は、私たちを礼拝に招いておられます。私たちは、礼拝の中で神と出会い、神を賛美し、祈り、神の言葉を聞きます。礼拝は、キリスト者にとって恵みであり、力の源です。こんな詩編があります。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。」(詩編27:4)